ニュース日記 984 天皇制民主主義のゆくえ㊥

30代フリーター 先代の天皇(現上皇)は皇太子時代から太平洋戦争の激戦地などを訪ねる慰霊の旅を続けた。その回数は数十回に及ぶと推定される。敗戦で受けたダメージによって天皇制の根幹が揺らぎかねないことへの危機感がそうさせたのではないか。

年金生活者 天皇制の根幹とは、天皇が農民の神を拝む代わりに、自らを神として農民に拝ませる「ギブアンドテイク」の「交換」のシステムを指す。大和王権は統一国家を成立させたとき、既存の群立国家の神を自分たちが拝む代わりに、自分たちの神をそれらの諸国家に拝ませるという共同幻想の「交換」を行い、緊密な支配システムを築いた。皇位継承儀式の大嘗祭では、天皇は農民の神を拝み、代わりに自らを神として農耕民に拝ませる「交換」を行い、統一国家成立の過程を反復する。ここで注釈を加えておくと、いずれの場合も、互いに相手の神を拝む行為は、相手を神として拝むことと同義となっていると考えていい。

 戦時下では、この「交換」のバランスが崩れた。政府によって現人神としての天皇が強調されたため、天皇は国民から拝まれる「テイク」のほうが増大し、国民(の神)を拝む「ギブ」が減少した。「交換」は「テイクアンドテイク」へ傾斜し、本来の天皇制から逸脱し始めた。先代天皇の慰霊の旅にはそのアンバランスを修復しようとする無意識の動機が働いていたと推察される。戦地や被爆地を訪れ、その犠牲者を慰霊することは、農民の神を拝むことに相当する。

30代 アンバランスは明治維新のときすでに始まっていたのではないか。

年金 その通りだ。明治維新では天皇制の西洋化がもくろまれた。日本を欧米列強に対抗し得る中央集権国家にするためで、それには、天皇を宗教的な権威を備えただけの存在から、政治的な権力を持つ西洋並みの君主にする必要があった。

 明治維新で成立した中央集権的な体制は、分散していた権力をひとつにまとめたシステムだから、宗教的な権威としての天皇の権力もその中に組み込まれる。おのずと天皇の政治性が強まる。明治憲法が「大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と、天皇に強大な政治権力を与える一方で、「皇位ハ皇室典範ノ定ムル所二依リ皇男子孫之ヲ繼承ス」として、皇室の伝統に一定の政治的な縛りをかけているところにそれがあらわれている。

30代 新憲法はそうした天皇像を百八十度に近いほど大幅に書き換えた。

年金 だが、その地位と役割を憲法で定めたこと自体が、天皇の政治性を残すことになった。憲法は政治的国家の骨組みをなすものであり、その中に組み込まれた以上、政治的であることを免れない。その影響は、ふだん考えられているより大きいと思う。

それは皇位継承儀式の大嘗祭の扱われ方にもおよんでいる。この儀式は食と性というふたつの要素が分かちがたく結びついている。性の要素は新しい天皇に宗教的な権威を、食の要素は世俗的な権力を与える源泉をなす。

 吉本隆明によれば、この祭儀が行われる悠紀殿、および主基殿と呼ばれる殿舎で、天皇はひとりの異性の神を迎える。両方の殿舎には寝具が敷かれており、それは「〈性〉行為の模擬的な表象」(『共同幻想論』)となっている。その模擬的な性行為で、天皇は迎えた異性神と一体化し、それによって自らが神となる。あるいは自らの神と交わる祭司となる。このとき、天皇は農民に対して宗教的な権威を帯びた存在に転じる。

 天皇は迎えた異性の神と共食もする。共食はそれ自体が性行為の代替であり、稲に豊かに実る神的な力を与える象徴的な行為となる。性行為の結果による子の生誕に穀物の実りが象徴されるのは古い社会に共通している。その穀物は生命の維持という現実的な利害を担っており、それを実らせる力はしたがって現実的な権力に転化する。

30代 その儀式の扱われ方がどう変わったんだ。

年金 大嘗祭をめぐる現在の学説は、この儀式から性の要素を消し、食の要素を主としたものが主流となっている。ウィキペディアには、「大嘗祭の本義は、稲や粟など農耕の収穫を感謝し、国土に起こる災害現象に対する予防のため、山や川の自然が鎮まるように祈念するもの」という岡田荘司の説によって、「真床覆衾」論(折口信夫)も聖婚儀礼説(岡田精司)もほぼ完全に否定されている、とある。

 これは研究上の変化だけによるものではなく、大嘗祭に対する天皇自身の、そしてそれにかかわる周辺の見方、扱い方が変化した結果と考えられる。

 皇位の継承は性を媒介に行われているのに、それを否定するのは、天皇の宗教的な権威の源泉を否定するに等しい。そしてこの儀式の要素を食に限定するのは、天皇の力を政治的な権力に限定することを意味する。それは大嘗祭の「近代化」であり、明治政府による天皇制の「近代化」=「政治化」の延長線上にある。

 このことは天皇の宗教的な権威の衰退を意味し、したがって天皇制そのものの衰退の兆候に見える。その兆候は前に触れたように自民党の弱体化にもあらわれており、今後さまざまなところで目にするだろう。