老い老いに 49

 夕焼け通信10年目、我が家の一員となった犬とのエピソードを綴った『いとしのエリー』を連載した。そのあとに書いたのが『アンニョンハセヨ韓国』だ。6月に開催された日韓両国主催のサッカーワールドカップで韓国熱に浮かされ、韓国平和ツアー参加の気持ちを固めた。韓国へ行きたいとの思いは学生時代からあった。部活動の先輩が韓国旅行から帰った際、「歴史の裏側を見てきたよ」といった言葉がずっと心に残っていたのだ。平和ツアーの参加は、7年前に夫と3人の子たちと行った沖縄以来。その際、ひめゆり部隊にいたMさんが何度も口にされた「知らなかったんです」が胸の奥にとどまっていたことも、歴史の裏側をもっと知らなければとの思いを強くしていた。今回のツアーは、夏休みで帰省中の娘と二人で参加することにした。実際に行ってみて、初日から衝撃の連続だった。午前中の見学を予定していた独立記念館、豊臣秀吉の朝鮮侵略(日本では朝鮮征伐)、東学農民革命運動(日本では東学党の乱)等、言葉からして歴史の裏側をまざまざと見せつけられる。午後まで食い込む濃密な時間、脳みそはとっくに飽和状態を超えたままナヌムの家へ向かう。ここでも初めて知った歴史的事実は疲れを吹き飛ばし、話に聞き入り展示物に目を凝らした。慰安所を再現した部屋を目にした時、沖縄の真っ暗なガマの中で聞いて愕然としたことを思い出した。「危険な入り口付には住民、奥の安全なところには将校がいて、そこには慰安所があったんです」。翌日の安重根記念記念館でガイドさんから、安重根(アンジュングン)について、「韓国では伊藤博文暗殺とは言いません。射殺です。正面から堂々と打ったのです」と聞かされた時は、歴史の裏側から正面パンチを食らった気がした。西大門監獄では初めて柳寛順(ユガンスン)を知る。「私たち朝鮮人の独立運動は正しい。裁かれねばならないのは侵略した日本人だ」と主張を曲げなかった彼女の言葉も同様だ。

 私が歴史の裏側の様々なことを詰め込んだ旅行をする少し前、何と、Y氏は中国を訪問していた。中国全土の地図が黒塗りで覆っていて正確なタイトルをしめすことはできないが、中国の福祉の実情を連載された。病院や老人ホームなどを視察し、変わりつつある社会主義国の医療・福祉について見聞きしてきたことが綴られている。