老い老いに 48

 2002年の夕焼け通信は410号から始まっている。紙面を飾ったのは、対話禄『難民を生きる』、里みちこのことば遊び『感字在菩薩』、編集長の『続ド素人畑作日記』、そして私の『忘れられゆく言葉たち』だ。『難民を生きる』は、元アウン・サン・スー・チー氏率いる国民民主党幹部で、軍事政権の弾圧を受けて来日、難民認定されたティン・ウィンさんと高校二年生の長女ヘイマー・ティン・ウィンさんの対談を記録したものだ。

 以降の通信には、おなじみの顔ぶれに加え、T・HさんやA・Mさん、M・Aさんらが詩を寄せて下さり、この時期は結構詩が紙面を多く飾っている。『漫画道楽記』でおなじみのM・I氏は連載を終え、『人生の踊り場』という次の連載に入っていく。そして、大学生のP・Kさんが、神奈川県から若い感性でとらえた文章を送ってくださった。

 そうして迎えた四月、夕焼け通信は10年目に突入する。編集後記から。

「指を折って数えてみると、ついに10年目の春に突入したことになります。『いつまで続けるんだ』と聞かれた場合、編集人は『20年』と答えることにしているのですが、10年続けば20年続くかもしれない、という気になってきました。よく続くねえ、と感心されたり呆れられたりしますが、『読んでるよ』のひと声さえあれば、なんぼでも続けられそうなんであります」

 夕焼け通信が始まった頃、我が二男坊は4歳児だった。それが10年後には中学生、長男は小学校入学したてから高校生に、長女は小学生から大学生になっている。それほどの年数だ。世の中では通信技術がどんどん発展し、ウィンドウズ95の出現により、パソコンを使いこなせる人が珍しかったのが、かなりの家庭に普及するようになった。バブルが崩壊し、経営破綻が相次ぎ、先行き不安な世の中になっていく。それまで考えられなかった事件が起きるようになった。わが国では地下鉄サリン事件、池田小学校児童殺傷事件や未成年による残虐な事件などなど。アメリカでは世界中を震撼させた同時多発テロ。そして、地球温暖化により世界各地で災害が起こり、世紀末から新世紀を迎え、危機感がじわじわと押し寄せてきている。