ニュース日記 982 天皇制民主主義のゆくえ㊤
30代フリーター 皇位継承の在り方をめぐってなされている主張は、どれも皇統の断絶の可能性を排除できない。天皇制はいつか廃止に追い込まれるのではないか。
年金生活者 その話をする前提として、いま天皇制がどうなっているか見ておこう。
先代の天皇(現上皇)の生前退位は、皇位の継承を天皇の死亡時に限定していた明治以来の制度を、天皇の存命中の譲位がたびたびあった江戸時代以前に部分的に逆戻りさせたことを意味する。
存命中の譲位が明治になって廃止されたのは、中央集権国家を築くのに必要だったからだ。譲位による上皇の誕生は二重権力を招く恐れがあるため、明治政府は終身在位が一般的な欧州の王制をモデルに皇位継承制度を設計したといわれる。
30代 戦後、天皇は新しい憲法で国政に関する権能を有しないとされ、前近代に近い状態に戻された。
年金 それはみかけだけのことで、政治の領域に依然としてとどまっている。国家という政治の主舞台を支える憲法の中に「象徴」として位置づけられ、中央集権国家を支える宗教的な支柱であり続けているからだ。
明治以降の皇位継承制度は、天皇の代替わりが政治化されたことを意味し、それは自民党の長期政権を目に見えないところで支え続けた。この党ができてスタートした55年体制は、政権交代を前提としないという、民主主義ではあり得ないシステムだった。自民党に対抗する日本社会党は改憲発議を阻むことのできる衆参両院の3分の1の議席を確保することを主目的にしていた。
失政があっても政権が代わらないことへの国民の不満を吸収するため、自民党は選挙で議席を減らすたびに総裁を交代させる疑似政権交代を繰り返した。これは天皇の代替わりを模したものだった。天皇が代わるだけで天皇制はかわらないように、総裁が代わるだけで自民党の統治はかわらない。それができたのは天皇の代替わりが政治化されていたからだ。
30代 日本の民主主義の特異性のひとつだ。
年金 近代の民主主義に必須の政権交代は、西欧の市民革命を非暴力化したものだ。そして市民革命のモデルはフレイザーが『金枝篇』で描いた原始社会の「王殺し」にさかのぼる。天災や疫病などの災厄が起きると、王の力が衰えたせいだと考え、王を殺して新しい王を据えた。
日本にはこの「王殺し」の風習の痕跡がほとんどない。日本に市民革命がなかったのは「王殺し」の風習がなかったからだ。明治維新が革命とみなされることはあるが、王が処刑されたフランス革命のように天皇が殺害されることはなかった。それどころか、逆に権威を高められて政治の舞台に登場した。それは戦後も目に見えない形で引き継がれている。
天皇が戦後の憲法の中にも位置づけられたということは、皇位の継承も政治的な意味を持ち続けたことを意味する。その在り方を、生前退位がありふれていた前近代にあと戻りさせた先代の天皇は、自らの政治的な力を自らの手で削いだ。それは天皇の代替わりをモデルにした自民党による疑似政権交代を無力化した。「石破おろし」に、かつてあった「三木おろし」などのような勢いがないのは、そこにも原因がある。
30代 日本にはなぜ「王殺し」がなかったのか。
年金 殺害を象徴する儀式をもうけ、それに現実の殺害を代替させたからだ。皇位継承の祭儀である大嘗祭は天皇の死と新たな天皇の誕生を象徴する儀式として組み立てられている。
吉本隆明の『共同幻想論』によれば、この祭儀が行われる悠紀殿、および主基殿と呼ばれる殿舎で天皇はひとりの異性の神を迎え、食事を共にする。両方の殿舎には寝具が敷かれており、吉本はそれを「〈性〉行為の模擬的な表象であるとともになにものかの〈死〉となにものかの〈生誕〉を象徴するもの」と推定している。
30代 なぜ性行為が生誕だけでなく死と結びつくんだ。
年金 ウィリアム・R・クラークの『死はなぜ進化したか』によれば、有性生殖の最大の利点は、遺伝子の多様性を生み出し、環境変化に適応できる個体を生み出すことなのに、もし個体が死なずに生き続けたら、古い世代がいつまでも存在し続け、新しい遺伝子の組み合わせを持った子孫が環境に適応する機会が減るからだ。吉本のいうふたつの「なにものか」は、退位ないし崩じた天皇と、新たに誕生する天皇を指していると考えても近似的には間違いないと思う。
吉本は悠紀殿、主基殿の天皇のもとを訪れる異性の神を、民族的な農耕祭儀で農耕民の家を訪れる田の神が抽象化されたものと考えた。
《天皇は〈抽象〉された〈田神〉のほうへ貌をむけるとともに、みずからの半顔を、〈抽象〉された〈田神〉の対幻想の対象である異性〈神〉として、農民のほうへむけるのである。祭儀が支配的な規範力に転化する秘密は、この二重化のなかにかくされている。なぜならば、農民たちがついに天皇を〈田神〉と錯覚することができる機構ができあがっているからである。》(『共同幻想論』)
この「機構」がその後の日本の支配構造を規定し、現在の民主主義の特異性を形成するもとにもなっている。