老い老いに 47

 様々に体裁を変えながらも、講演録、随筆、詩などを載せながら、夕焼け通信は400号を超えて発信をし続ける。そして、9年目も年を越え、2002年に突入した。さて、世界を揺るがす出来事が相次いだ2001年の次の年は、どんな年だったのだろう。読売新聞読者が選んだ十大ニュースを挙げてみる。

 一、ノーベル物理学賞に小柴昌俊さん、化学賞に田中耕一さん 二、史上初の日朝首脳会談、金総書記「拉致」認め、被害者五人帰国 三、サッカーW杯、初の日韓共催で日本ベスト16 四、巨人が日本一、松井秀喜選手が大リーグへ 五、鈴木宗男衆院議員をあっせん収賄容疑で逮捕 六、牛肉「偽装」事件相次ぐ 七、高円宮さまご逝去 八、秘書給与流用疑惑で辻本清美、田中真紀子両衆院議員が辞職 九、日本総領事館で中国武装警察が亡命者連行 十、小泉首相が田中真紀子外相を更迭

 前年に比べ、上位に朗報が並ぶ。ノーベル賞は、私が子どもの頃は湯川秀樹氏くらいで、その後朝永振一郎氏、江崎玲於奈氏と続いたものの、十数年に一人くらいの受賞だった。それが一度に二人も受賞者が出たことは快挙だったのだ。二位に上がっている拉致問題、今は日朝関係が非常に緊張しており、拉致被害者についても進展が見られない状態だ。それがあの年は、大展開があった。当時の小泉首相と金正日総書記の首脳会談で金総書記が「拉致」を認めて謝罪し、被害者五人を日本に帰したのだ。5人が飛行機から降りてくるテレビの映像は今も目に焼き付いている。次いで日韓共催のワールドカップ。普段サッカー観戦はしないのに、その時ははまってしまった。その年の夏に韓国平和ツアーに参加し、旅行記を連載することになるのだが、その第一回目に次のように書いている。

「今年の6月、寝不足の日が多かった。サッカー熱に冒されてしまったのだ。これまでサッカーに全く興味がなかった私が、決着がつくまでテレビにかじりついていたくらいだから、そのフィーバーぶりはすさまじいものだった。そんな中で、韓国平和ツアーへの決意を固める。ひょっとして安貞桓にすれちがうかもしれないし、なんてありもしないことを考えたりして」