ニュース日記 「テクノ封建制」をめぐって

30代フリーター 前に「民主主義の劣化」について話したときに触れたギリシャの経済学者ヤニス・バルファキスは『テクノ封建制』という著書の中で、資本主義はもう終わって「テクノ封建制」に取って代わられたと言っている。資本家が労働者を搾取して利潤を得るのではなく、GAFAMなど巨大IT企業がネット空間にプラットフォームという名の「クラウド封土」を築き、それを利用する人たちを「クラウド農奴」にして搾取する。

 巨大IT企業は「クラウド領主」と化し、プラットフォームの利用者、すなわち「クラウド農奴」から、その属性や行動傾向など個人情報を「地代」として徴収し、広告配信を通して収益化している。プラットフォームへの商品の出品者やアプリの開発者は「クラウド封臣」と名づけられ、手数料という名の「地代」を「クラウド領主」に納める。自由市場での価格競争はなく、資本主義の必須の要件を欠いているというのがバルファキスの見方だ。

年金生活者 「テクノ」という言葉を使うなら、「テクノ封建制」より「テクノ絶対王政」と呼んだほうがいい。

 プラットフォームでは当事者間の力関係は企業側が圧倒的に優位に立っていて、利用者や出品者は企業の言いなりになるしかない。そこには中世ヨーロッパの封建制のような分権的なシステムはなく、中央集権的な支配が貫かれている。その体制は近世の西欧に成立した「絶対王政」に近い。GAFAMなどの企業は「クラウド領主」よりも「クラウド君主」と呼んだほうがいい。

30代 呼び名の違いがそんなに大事か?

年金 バルファキスが「封建制」という言葉を使うとき、それは主として経済システムを指している。それに対置させた「絶対王政」は政治体制を指す概念だ。もう少し厳密に言うなら、「封建制」が経済と政治の分離していないシステムであるのに対し、「絶対王政」では両者が分離している。いわば経済と政治が分離し始めた「封建制」が「絶対王政」と言ってもいい。

 プラットフォームによる支配を「テクノ封建制」と呼ぶ限り、それは資本主義にとって代わる経済システムであると同時に、民主制に取って代わる政治システムということになる。「テクノ絶対王政」と言い換えれば、それは政治システムに限定されるので、経済システムは必ずしも封建制とは限らない。実際、「絶対王政」下では商業資本主義が発展した。

30代 「絶対王政」のもとで暮らしている実感などないけどな。

年金 「絶対王政」はあくまでもネット空間上での話だ。その外にはれっきとした資本主義の世界が広がっている。たとえば世界的な自動車メーカーであるトヨタ自動車は、ネット空間ではなく、リアルな工場で車を生産し、リアルな市場でそれを販売し、「地代」ではなく「利潤」を獲得している。

資本主義の発展の歴史は、資本主義が国家から自立していく歴史だった。資本主義は、国家による丸抱えだった商業資本主義から、国家への依存をインフラ整備などに限った産業資本主義へ、さらにインターネットの普及とともに新たなインフラ整備を自前でするようになったポスト産業資本主義へと推移してきた。それは資本主義が国家のくびきから解放されていく過程でもあった。

植民地貿易と遠隔地貿易を利潤の主要な源泉とする商業資本主義は、西欧の絶対王政による重商主義政策にあと押しされて発展した。植民地の獲得、貿易航路の開拓といったインフラ整備は国家の軍事力によってなされた。

労働力を利潤の源泉として興隆した産業資本主義は、機械制大工業のインフラとなる交通網や通信網、発電設備の整備を直接、間接に国家に頼った。しかし、商業資本主義のように軍隊の手を直接借りることはなかった。

これに対し、モノをつくらない第3次産業を牽引車とするポスト産業資本主義は、第2次産業の場合のような大規模な物理的インフラを必要としない。それに代わってインターネットというソフトなシステムが産業の主要なインフラとなった。インターネットは米国防総省が開発したものだが、その後の発展、普及は民間企業やオープンソースコミュニティーによって担われた。国家は種をまいただけで、その後の栽培は資本主義自らが担った。

 この流れを必然の過程と考えるなら、バルファキスが「テクノ封建制」と名づけたGAFAMのプラットフォーム、すなわち国家並みの大規模な再分配システムは、資本主義が国家の主要機能を自らの手で備えたことを意味し、国家の根幹部分からの自立を果たしたことを示している。それは「封建制」へのあと戻りというより、それに似た形を取った資本主義の前進とみなすことができる。

 巨大IT企業による独自の再分配システムの構築は、既存の国家に対する新たな国家の独立宣言に等しいと言える。再分配は競争ではなく強制によって行われるので、そこだけ見れば、資本主義から封建制に歴史が逆流したように見える。しかし、それは海面下に隠れた巨大な資本主義の本体の先端部分と理解すれば、そこに資本主義の新たな到達点を見ることができる。