老い老いに 46

 2001年の我が家の出来事といえば、4月に娘が進学のため家を離れ、同居家族が一人減ったこと、そして、6月23日に新たな住人(犬)となるエリーがやってきたことだ。誕生日、どうしても犬が欲しいと言って聞かなかった二男のために、新聞広告で見つけた犬を雲南までもらいに行った。新聞によるとメスで誕生日が4月19日(実際は5月19日だった)で、娘と同じだ。だから、犬の名前は娘の名前にちなんでエリーに決めていた。待ち合わせ場所には、飼い主のおじいさんが大きめの白くていかにも元気そうな子犬と小さくてちょっとひ弱そうな茶色の子犬と2匹連れてきていて、「生まれて今日が35日目でまだ乳離れしちょらんで」と言われる。息子と私たち夫婦全員一致で小さい茶色の方を選んだ。

「いとしのエリー」は、「忘れられゆく言葉たち」の後に連載した。牛乳を指につけて舐めさせ、添い寝してやるという育児から始めたエリーとの日々を綴ったものだ。エリーはそれから家族の一員になり、娘が長男を出産する前まで13年近くを共に過ごした。

 他所の犬と違うところは、メスなのに片脚をあげて小用を足すところ(成犬になってしなくなった)、臆病で大きな犬が近づいてくると飼い主の後ろに隠れ、猫に睨まれると目を逸らすところ、家が近づくと紐を咥えて小屋まで走るところなど。犬小屋の屋根に猿のようにまたがって座っていた姿は今もありありと目に浮かんでくる。

「お母さんが帰ってくるのがすく分かるわ。エリーが吠えるもの」と家族がよく言ったもので、私の乗る車の音を聞き分けていた。車を替えると、新しい車の音までよく聞き分け、散歩に出ると、私の車と同じ車種の車が通るだけで振り返りもした。犬の聴力は人の何倍とも言われる通りで、困ったのは水郷祭の夜だった。花火があがる間中吠え続けるので、見物客とは逆に花火から遠くへ遠くへと歩いたものだ。

 癌が見つかってからだんだん弱っていき、家が近づくと飛び上がって紐を咥えるのにそのジャンプ力が無くなり、着地に失敗して顔から落ちるようにもなった。それでも、最期の日まで散歩は続け、さほど苦しまずに逝った。水郷祭の日は、毎年エリーを思い出しながら、人の流れに逆行して歩いている。