ニュース日記 978 「少数与党」という民意

30代フリーター 衆院選に続いて参院選でも自公が過半数割れした。

年金生活者 選挙だけでは政策の決定ができない状態がいっそう進む。個々の政策ごとに与野党が交渉し、世論調査結果がそれに影響を与えるという、国民投票的な要素が国会の議論に加わる可能性が出てきた。

30代 国民は自民党に特大級のお灸をすえた。

年金 お灸ではない。勘当した。初めてのことだ。2009年の民主党への政権交代でさえは勘当ではなかった。そのあとに安倍長期政権が続いたことがそれを示している。それまで謝れば赦していた国民はこんどばかりは赦さなかった。

 国政選挙で2度続いた自公の過半数割れは、ヘーゲルの次の言葉を思い起こさせる。

 《そもそも国家の大変革というものは、それが二度くりかえされるとき、いわば人びとに正しいものとして公認されるようになるのです。ナポレオンが二度敗北したり、ブルボン家が二度追放されたりしたのも、その例です。最初はたんなる偶然ないし可能性と思えていたことが、くりかえされることによって、たしかな現実となるのです。》(『歴史哲学講義(下)』長谷川宏訳)

 おそらく今後は、自公政権が過半数を取り戻すことがあっても、それが常態化することはないだろう。

30代 自民党が自民党でなくなるような事態だ。

年金 これまで多くの国民にとって自民党は数ある政党のひとつではなく、国家に準ずる存在だった。それを勘当したということは、今の国家のあり方、現在の民主主義の仕組みに疑念を突きつけたことを意味する。

 その仕組みとは、成田悠輔のいう「代議者や政党にあらゆる政策・立法を委ねる『一括間接代議民主主義』とでも言うべき特定の選挙制度」だ(『22世紀の民主主義』)。これまで国民は選挙のたびに否応なく自民党に、そうでなければ野党に「あらゆる政策・立法を委ねる」ことを強いられてきた。しかし、これだと、この党にこの政策はやってもらいたいが、あの政策はやめてほしいという有権者が必ず出てくる。要求が多様化した現在はなおさらだ。

30代 様々な政策をとりそろえた百貨店的な政党の退潮と、政策を絞り込んだ専門店的な政党の伸長が参院選の結果にあらわれた。

年金 国民の大多数が貧乏だった戦後しばらくは、貧困からの脱出が国民の共通する要求だった。高度経済成長の時代に入ると、要求は「より豊かに」に変化した。豊かさが現実のものになると、マイホームなどを持つ中間層が形成され、そうでない層との格差が生まれた。大多数の国民が平等に貧しかった時代とは対照的に、豊かさは不平等に実現した。

 そこから国民の要求の多様化が始まった。「等しく貧しい者たち」の味方だった日本社会党がまず退潮した。右派が民社党を結成し、やがて社会党本体も、中間層を主要な支持層とする民主党に吸収された。その民主党も解体し、野党の多党化が進んだ。多様化した国民の要求のうちどれを優先するかによって政策が分れ、その中から専門店的な新興野党が生まれた。

 これに対して、多様な要求をできるだけひとつの党で引き受ける百貨店的な構えを取っているのが自民党だ。それに対する不満の受け皿となったのが、「手取りを増やす」の国民民主党や「日本人ファースト」の参政党といった専門店的な野党だ。

30代 これまでの政党政治のあり方が問い直された選挙だった。

年金 政党ごとに投票するのではなく、個々の政策ごとに投票する選挙の仕組みが以前から提起されている。国民投票を小刻みにするようなやり方だ。

多様化が進む社会では、個人はTPOに応じて別人格のように振る舞うことを強いられる。言い換えれば、個人の内部も多様化が進み、複数の異なる人格が同居しているとみなされる状態になる。

 その前提に立つと、個人Aを構成する人格A1と人格A2は、たとえばひとつの政策をめぐって違う意見を持つ可能性がある。A1は選択的夫婦別姓の導入に賛成なのに対し、A2は子供の姓のことを考えると迷うといったぐあいに。このとき両方の人格を併せ持つ個人Aは、同姓の強制が男女平等を損ない、仕事などに支障をきたしていることはたしかだと思う一方、子供の姓が一方の親と異なったり、きょうだい間でバラバラになったりすると困ることはないだろうか、と思案している状態にある。

 こうした不都合を克服するために、鈴木健の『なめらかな社会とその敵』は「個人民主主義」から「分人民主主義」への転換を主張する。「分人」は個人Aの中の人格A1やA2に相当する。そのA1とA2に個人Aの1票を自分の望む比率で分配して投票できる選挙の仕組みを鈴木は提唱している。

30代 実現可能かどうかは疑問だ。

年金  少数与党化が完成した国会は、与党に「あらゆる政策・立法を委ねる」ことが不可能になり、政策ごとに選択をし直すことが必要になる。初めに言ったように、選挙結果だけでなく、世論調査結果が国民投票的な役割を帯びてその方向を左右する可能性が高まる。政党ではなく、個々の政策を選択する民主主義にわずかなら近づいていくだろう。