座付きの雑記 11 開塾二年

 ある冒険家が「このまま行けば遭難する、というのはわかる。でも、どこで引き返せばよいかはわからない」と何かに書いていた。ずいぶん前に読んだが、この言葉が強く心に残っていて、時々浮かんでくる。遭難を一つの比喩として読めば、生きていれば何度か遭遇するだろう逢魔が時をうまく言い表しているようにも思える。

 塾を開設したのが7月、ちょうど2年前だ。算数塾に落語教室を併設するから担当してくれ、と言われて数カ月のあわただしい準備の後、暑い盛りにオープンした。算数なら需要もあろうが、落語教室に人なんぞ来るものかと高をくくり、のんきにかまえていた。薄給とはいえ何もしないで給料をもらうことなど寝覚めが悪くてしかたないから、算数の手伝いをしたり、塾の通信をせっせと書いたりして過ごしていた。7月8月と落語教室にはだれも希望がなく、それ見たことか、という状況だった。石の上にも三年というぐらいだから、そこまで辛抱してみて、だれも来ないようだったらあきらめよう、と塾長と話していたら、9月に二人入った。

 落語教室の存在などだれも知らないから、寄席の依頼などあるはずもなく、二人の落語がさまになってきているのに発表の場がないでは情けないので、落語をやらせてもらえるところを探した。ようやくにして見つかったのが某デイサービスで、最初の寄席にこぎ着けたのが11月。初めての依頼で寄席をしたのが明くる1月。その時は教室生5人になっていた。それから、ひと月かふた月に1回の割で寄席の依頼が入るようになった。もちろん営業努力の末だ。

 さて、ちょうど開塾2年となった現在、教室生は18名となり、寄席はほぼ毎週末となり、一日に二つ入るのも珍しくなくなった。ぼくの方からの営業もしばらくしていない。寄席の数は増えたが、子どもたちは出たいときに出ればよく、決して無理はしない。これも人数がいるからこそだ。ただ、ぼくは座付き作者としての雑事があるから、寄席のすべてに出向かなければならず、稽古の要請にも応じなければならない。ぼくの一日は、この半年ですっかり変わってしまった。

 どこかで限界がくるのはまちがいない。すでに越えてしまっているのかもしれない。そこがわからない。断りゃいいだろって話だが、落語をやってみたいと訪ねてくる親子があれば、どの子にも経験させたいと思い、うちの集まりに来てほしいと請われれば、どうにかして断らずに済む方法はないか、と考えてしまう。こうして危ういかどうかも定かでない2年目を過ぎたのである。