座付きの雑記 9 世阿弥

 新聞の取材を受けた。変わった塾を記事にしているという。前にテレビでも同じことを言われた。

 新聞やテレビの取材はだいたい引き受けることにしている。無料で宣伝してもらえるのに加えて、インタビューを受けていると、自分の考えを整理することができるからだ。聞かれることはいつも同じで、なぜこども落語を始めたのか、落語によってこどもたちはどう成長するのか、は、ほぼ百パーセントだ。

 では、答える側はいつも同じことを答えているか、と言われると、これが毎回ちがう。その時々で浮かんでくる回答が同じじゃないのだからしかたがない。しゃべってしまってから、うーんそうだったかなあ、とどこか居心地が悪くなったり、ああこれが真実に近かったかもしれない、と気に入ったりしている。

 こども落語を始めたのは思いつきだったので、何ゆえに思いついたかはほんとうのところはよくわからない。仕事柄、ねらいだの目標だのをまず掲げよ、と事あるごとに叩き込まれたのだが、それに苦痛を感じる教師だったのだ、ぼくは。だから散らかったままとりあえず始めてしまった。

 子どもたちがどんなふうに成長していくかも、「それぞれに」としか言いようのないところがある。それでは話が進まないから、それなりに形が整うようなことを言うけれども、言葉にしたそばからぽろぽろと漏れていくものの方に気持ちが向く。

 それでも、幾度となく聞かれているうちに、始めたころに比べれば肩の力が抜けてきたし、当たらずとも遠ざかり方は減っているような気はしている。少しずつ止揚できているのかもしれない。

 本の始末に奥出雲に通うのも終わりが近づいてきた。あらかた処分したが、これから折に触れて手にするだろうと思える本は、家に持ち帰っている。そのうちの一冊が岩波の日本思想体系『世阿弥・禅竹』で、購入したのは三十年以上も前だ。まだ買書に熱心だったころで、パラパラとめくりはしただろうがほとんど読んでいない。能に関心がわいたこともない。よくもまあいつか読むだろう程度の軽い動機で、決して安くないものに次々と手を出していたものだ。

 なぜか、背表紙を眺めていたら読んでみたくなり、風姿花伝と校注者加藤周一の解説を読んだ。興奮した。世阿弥や室町時代の猿楽のイメージが一変した。とても不遜に響くだろうけれど、こども落語の座付き作者が日々向き合っていることといくつもいくつも重なるのだ。もしまた新聞のインタビューがあったとしたら、次は世阿弥がチラリと出てきそうだ。