座付の雑記 8 本の始末
今にしてみればどうかしていたというほかないが、就職してから20年あまり、私の趣味は読書ならぬ買書だった。読書もしていたがそれに追いつかぬ量の書籍を購入していた。給料をもらう前は、買いたい本をどう我慢するかに悩んでいたので、生活費のさしてかからぬ環境で、月々学生から見ればたいそうな額をいただくようになり、完全にたがが外れてしまった。徐々に蒐集癖は収まっていったが、処分には関心がなかったので相当量たまってしまった。
20年ばかり前、手狭な住宅に引っ越さねばならなくなり、これらの始末に頭を抱えたが、救いの手をさして延べてくれた人があった。使っていない離れがあるからそこに置いたらよい、と。もともと茶室にでもと先代がこしらえた風流な佇まいで、風通しもすこぶるよいので、ここを図書館にしたらすてきじゃないかと思いついてしまった。おもしろがってくれる人も少なからずあったので、私の蔵書とそれをうんと上回る書籍の持ち込みで、図書館と名乗って遜色ないくらいになった。
しかし、20年経てばどうなるか、それを考えてこなかったツケはここへ来て年々強度を増し、ついに先送りを許さないところまで来てしまった。いつまでも年古るままにしておけず、処分する以外の選択肢はないのだが、問題はその処分方法だ。
今ひとつ気になりつつも手が付けられなかった最大の理由は、これぞという処分方法がみつけられなかったからである。からんで古紙として出す、ネットの古本業者に送る、ブックオフに持ち込む、などを考えていたが、どれもそれにかかる手間を考えるとどうにも体が動かないのだった。
ところがここでも救いの手。草取りボランティア仲間とのおしゃべりから偶然、松江の某NPOの存在を知った。寄付された古本は、スタッフがきれいにしてネットや契約店舗で販売し、売り上げはすべて障害者支援に充てられるというのだ。我が家から近いこともあって話を聞きに行くと、選別などはこちらでするから、ただ持ち込んでくれればいいと言う。いくらかでも金になればなどという考えはとうの昔にどうでもよくなっているし、死蔵に等しい本たちが一部なりともだれかに読まれ、だれかの支援につながるならば、それに越したことはない。
かくして、自動車に積めるだけ積んで件のNPOに通うこと三度。まだ終わらない。スタッフの皆さんの心からの「ありがとうございます」を報酬に、四度目に臨む。