ニュース日記 973 イスラエルの行動原理
30代フリーター イスラエルがイランを先制攻撃し、交戦が続いている。G7首脳はイスラエルの自衛権を支持する共同声明を出し、事態はイスラエルの思惑通りに進んでいるようだ。
年金生活者 覇権国家=「世界帝国」の座からずり落ちつつあるアメリカは、世界支配のための政治的、軍事的、経済的な諸システムが逆に重荷になり始め、トランプはそのためのリストラを急いでいる。その一環として中東からも次第に手を引き、対立する中国に対して力を集中したがっている。
それと対照的に、欧州はEUという「地域帝国」を維持しようとしている。「帝国」の特徴は域内だけでなく域外でも権力を行使するところにある。英独仏がイスラエルのガザ攻撃を非難したのは、権力行使そのものではないが、「帝国」としての姿勢を示そうとしたものと推察される。
そんな中でのイスラエルのイラン攻撃は、トランプ政権のリストラにブレーキをかけ、欧州からの非難も消し飛ばした。
30代 ネタニヤフ政権の聞く耳を持たないかたくなさに同盟国も友好国も手を焼いているように見える。
年金 イスラエルは自分たちユダヤ人への迫害が極点に達したホロコーストを、いま自らの手によってガザで繰りしている。そこでは虐待の世代間連鎖が国家規模で起きていると言える。
30代 なぜそんなことが起きるんだ。
年金 フロイトの反復強迫の概念を借りて考えると、人間は過去の苦痛な経験を無意識的に繰り返そうとする。虐待を受けた子供もその経験を反復しようとする。自分で自分を虐待することはできないので、親になったとき、わが子を自分に見立てて虐待する。
二度としたくないはずの苦痛な経験をなぜ繰り返すのか。苦痛な経験だからこそ、苦痛でない経験としてやり直そうとする無意識の動機が働いていると考えられる。経験のやり直しが元の経験と違うのは、時間的には心の準備ができること、空間的には距離をおくことができることにある。言い換えれば、耐えがたかった元の経験を耐えられる経験に置き換えることができる。ユダヤ人にとって、ホロコーストはその種の経験に属する。
30代 連鎖を止める手立てはないのか。
年金 虐待はフロイトのいうエディプスコンプレックスの克服の破綻でもある。エディプスコンプレックスは、幼児が母と交わることを願い、そのために邪魔になる父を殺害しようとする無意識の衝動から始まる。だが、子は父による去勢の脅しに屈して、母と交わることをあきらめ、代わりにいつか別の相手と交わるために、父のようになりたいと願うようになる。母子相姦を子に禁じる父は法の体現者でもあるので、子は法に従うことを受け入れる。そこで一種の取引が成立する。
だが、もし父が去勢の脅しにとどまらず、虐待にまで及べば、子は一方的な譲歩を強いられるだけで、そうした取引は成立しない。子は母をあきらめることができず、父のようになりたいと思うこともない。つまり法に従おうとはしない。親になったとき、法に背くことをいとわず子を虐待する。
もし「虐待」を「尊重」に置き換えて、エディプスコンプレックスの克服を経験し直せば、虐待がなかったことと同様の状態、あるいはそれに近い状態をつくることができるのではないか。戦後の欧州は、それと意識せずに、その状態をつくろうとしてきたと考えることができる。
30代 欧州は何をした?
年金 統合への歩みはその最大のものと言える。それが行き着いた先がEUという「地域帝国」だ。「帝国」は域内にさまざま勢力を抱えているため、分権的な統治にならざるを得ない。つまり「帝国」の特徴は「多様性」にある。欧州の統合はそのシステムの中にユダヤ人の居場所をつくり、敬意を持って彼らを遇することを意味した。
しかし、「帝国」の域外の中東ではそれができなかった。パレスチナ人を追い出して「国民国家」をつくるイスラエルの建国はたちまち領土をめぐる対立を引き起こした。領土は「国民国家」の生命線であり、その侵害はナショナリズムのエスカレートと戦争につながる。中東は「帝国」の論理とは対照的な「国民国家」の論理がむき出しになる最前線となった。
30代 イスラエルの振る舞いは植民地主義とも批判されている。
年金 国民の平等をうたう「国民国家」は内外に「同質性」を強いる特性を持つ。それが外に向かってエスカレートするとき植民地主義となる。ユダヤに負い目を持つ欧州はアメリカとともにそれを容認した。
それでも、イスラエルによるガザ攻撃に対してはさすがに非難の声を上げざるを得なかった。ところが、イスラエルがイランを攻撃し始めると、パレスチナ国家の承認まで表明していたフランス大統領のマクロンは手のひらを返し、イランを攻撃したイスラエルの自衛権を支持した。
ロシアのウクライナ侵略は非難して、イスラエルによるイラン侵略は擁護する二重基準は、論理的に導かれたものではなく、ユダヤ人迫害に加担した欧州のトラウマが反応したものと考えられる。それがいまなお克服されていないことがあらためてあらわになった。