座付きの雑記 6 小林如泥

 これを読まれるころには、会期は終わっているかもしれないが、現在松江歴史館にて「その技神のごとし 小林如泥」が開催中である。松江藩お抱えの指物師小林如泥の仕事をこれほどまとまって目にすることはなかなかない。

 ぼくも見に行ったが、その超絶技巧に心底驚いた。知り合いの職員にそれを言ったら、

「どのようにして作ったのか今もってわからないそうです」

と教えてくれた。如泥は作品以外何の記録も残していないし、弟子も取らなかった。さらに、一つ拵えたら使った道具はすべて処分してしまったということだから、残念ながら技をたどるすべがない。技術を伝えることに興味がなかったのか、空前絶後の存在と自覚して模倣されるを嫌ったか、理由は分からない。

 小林如泥を見出したのは、大名茶人として著名な第十代松江藩主松平不昧で、この稀代の目利きの庇護を受けてひたすらに技量を磨いたとおぼしい。

 小林如泥の名前を耳にしたのは、まだこどものころだったと思うが、詳しく知ったのは長じてから読んだ石川淳の『諸国畸人伝』を通してだった。そこには如泥にまつわる様々なエピソードが記されていて、タイトルにふさわしい変人っぷりがさすがの名文でいきいきと描かれている。

 松江歴史館でこども落語をさせてもらうようになって、館の依頼でいくつか松江城にまつわる怪異譚や史話を一席に仕立てた話はすでに書いたが、実は如泥展と相前後して、如泥に関する資料も渡されている。一通り目を通したが、石川淳が素描に用いた以外のエピソードはそこにはなかった。つまり如泥の人となりや作品をたどる資料はごくわずかで、新しいものはないようなのだ。

 さて、この小林如泥がこども落語の一席になり得るか。今もずっと考え続けている。落語には、名人、上手を描いた一ジャンルがあって左甚五郎の登場する話だけでもいくつもある。それを換骨奪胎してならんものだろうかと思うのだが、どうにも形になってくれない。たぶんこれは、如泥本人がおもしろすぎるのだ。くそ真面目な人間やおそろしい妖魔などにおもしろいことをさせて笑うことはやりやすいのに、元々常軌を逸したおもしろい人間を創作でよりおもしろくするなんてできっこないのだ。

 ネズミの彫り物競争をする有名なエピソードがある。名人対決は如泥の圧勝に終わる。ご興味あらば、その理由を先の本などで当たられたい。こんなの落語にしたらそれこそ色あせてしまう。