ニュース日記 971 オウンゴーラーたち
30代フリーター トランプ政権は、ハーバード大学の留学生受け入れ認可を停止するなど、エリート校への圧力を強めている。
年金生活者 世界に抜きん出た大量のエリートの養成は、古代以来どの「帝国」も取り組んできた。トランプ政権の反エリート主義は、「世界帝国」としてのアメリカを解体する作業の一環ということができる。
「帝国」は域内に多様な民族・文化を抱える。その統治には高度な知識と技能を持つエリートの存在が不可欠だ。中国は官僚を身分に関係なく選抜する科挙制度を設け、ローマ帝国は言語による支配の手段としてラテン語と修辞学を身に着けた指導層を育てた。
多様な勢力から成る「帝国」の統治は分権的にならざるを得ない。そのぶん皇帝など中央の権力は制約を受ける。それを補うのが域外の服属国の忠誠だ。それを担保するために、「帝国」の文化を身に着けたエリートを服属国の中にも育てなければならない。中国による日本からの遣隋使、遣唐使の受け入れ、アメリカのアイビー・リーグなどの名門大学への大量の留学生受け入れはそのための仕組みだ。
その停止は、自由貿易体制の破壊、NATO離れ、WHOからの脱退などと並ぶ「帝国」の装置の解体の一環にほかならない。
30代 トランプ政権は中国人学生のビザを「積極的に取り消す」とも発表した。米国政治が専門の三牧聖子は「米国は留学生を広く受け入れることによって、国力を高めてきた。優秀な人材は今後、米国留学を避けかねず、中国からすれば米国のオウンゴールに見えるだろう」と指摘している(5月30日朝日新聞朝刊)。
年金 トランプのオウンゴールはそれだけに限らない。覇権国家=「世界帝国」の座からずり落ちつつある現在のアメリカにとって、基軸通貨ドルの力による自由貿易体制の維持や、圧倒的な軍事力による安全保障システムの提供など、かつて世界支配の手段だった装置が逆に重荷になりつつある。
それらを高関税やNATO離れによってリストラしようとしているのがトランプだ。しかし、世界中の国々と緊密につながったそれらのシステムを解体するには時間と手順を要する。都市の密集地で行われる建物の解体が慎重に進められるのと同じだ。
トランプはそれを無視し、一気にやろうとしている。それが彼の売りであり、支持を集める要因となっている。だが、それは密集地の建物を解体するのに爆弾を使うようなものだ。犠牲は避けられない。突然の高関税はアメリカを離れて中国寄りになる国々を出現させ、NATO離れはロシアのウクライナ侵略を既成事実化させる要因のひとつになっている。トランプは「オウンゴーラー」になった。
30代 兵庫県知事の斎藤元彦らを内部告発した県幹部の私的情報を前総務部長が県議に漏洩し、それが知事と元副知事の指示のもとに行われた可能性が高いとする報告書を県の第三者委員会が出した。斎藤は「指示したという認識はない」と主張している(5月28日朝日新聞朝刊)。別の第三者委員会から、内部告発者探しをしたことを公益通報者保護法違反と認定され、告発を理由とし懲戒処分を違法・無効とされたときも「対応は適正だった」と繰り返すなど、「法の支配」を無視する点でトランプと似ている。
年金 その結果「オウンゴーラー」になっている点でも似ている。政府からは知事の公益通報者保護法の解釈は公式見解と異なるとダメ出しされる始末だ。
斎藤は維新の会と自民党の推薦で兵庫県知事に初当選した。その維新は「不祥事のデパート」と言われるほど議員や首長の不祥事や犯罪が多いことで知られる。そうした法令順守の欠如はもとをたどれば、党の理念の「身を切る改革」に行き着く。
「身を切る改革」とは政治・行政の無駄を省き、民意を重視するということだ。それ自体はいいが、民意の代表を強調するあまり、政治や行政の経験のない民間人をたくさん候補者に立て、それが不祥事の要因のひとつとなっている。
政治・行政に携わる人間は常に法の制約を受ける。その経験を積んだ政治家や官僚は法に則って行動するのが習慣となっている。だから、そこからの逸脱には慎重だ。しかし、民間人はふだんそれほど法を意識することはない。「法の支配」は政治家にも官僚にも民間人にも等しくおよぶ原則だが、現実には民間人がじかにそれを経験することは政治家や官僚に比べるとはるかに少ない。
だから、民間人がいきなり行政組織の長になったり、首長や議員に当選したりすることの多い維新では、「法の支配」に鈍感になってしまう。まして「身を切る改革」となると、既存の政治・行政組織の解体に前のめりになるあまり、法の無視にまで至ってしまう。政治経験のないまま大統領になったトランプが法を無視する姿とそれは重なる。
30代 斎藤は総務省の官僚だったので、法令順守の訓練は受けきたはずだが。
年金 なぜかそれが身に着かないまま、維新が知事の大阪府の財政課長になり、維新の体質に染まったのかもしれない。彼の掲げる「改革」がどこかで「法の無視」と接続したと考えられる。