老い老いに 35
前号に夕焼け通信300号が綴りに存在しないことを書いたところ、編集長から「40ページで発行しています」とのメールを受け取った。かなりの圧巻だから穴を空けてファイルに綴じるのではなく、別に綴じたのかもしれないと思い、これまでの夕焼け通信を収めている箱の中を探してみると、別綴じした300号が姿を現した。
連載しているものも含めると、何と40人を超える人たちから寄せられている。何度か投稿してくださった方もいれば、初めてお名前を拝見する方も。安来、松江、出雲、浜田、益田、三刀屋、横田、隠岐といった県内各所から、お隣鳥取は米子、会見から。遠くは、岩手、八丈島から。そして、京都、草津、東京は世田谷、大阪、枚方からも原稿が送られてきている。
内容も、詩、俳句、随筆など様々で、『刻々を美しく』の題で講演いただき、講演録が連載された岡部伊都子氏からは、「いのち 揺れて 生きる 一九九九・八・三 いつ」の直筆が印刷されている。直筆はもう一方、里みち子氏から「こころの旅」という詩を柔らかな筆致で寄せてくださった。連載された講演録『加害者としての私の戦争体験❘日本は中国で何をしてきたか❘』の鹿田正夫氏からは、岩波書店から送られてきた『戦後戦死者五万人の謎をとく』を読んで新たに知ったことを3ページ超の長文で綴ってくださっている。
この300号に原稿を寄せていただくにあたり、編集長は、「今いちばんの関心事をかいてください」とお願いしている。だから、それぞれの書き手が、様々な観点で思いを文章にしている。この年に成立した国旗国歌法にまつわること、教育問題、人権に関すること、身の回りのことなどなど。面白かったのは、『「おコメ」をどうする?』。300号発行後四半世紀を超えた今、まさに「令和の米騒動」の中にいる。
編集長は、300号の「はじめに」で、こう書いている。「一生懸命生きている人の、その一生懸命がずらり。続けていく元気、たっぷりといただきました。お一人お一人にこの場をお借りして、心から感謝申し上げます。」
この300号は、四半世紀前を生きる人々がその時代の思いを綴った貴重な記録本だ。読み返して寄稿者のそれぞれの思いにふれ、老いた頭と身体に少し活力が蘇った気がする。