座付きの雑記 5 サ高住行脚①
何度か書いているが、東奥谷教室が工事に入ってから、代わって落語の稽古場を提供してくれたのが松江歴史館と某サ高住である。どちらも願ってもない条件で、つくづく恵まれていると思う。
松江歴史館では、四月から毎週水曜午後3時半から4時半の定席になり、学校から帰ってその時間に間に合うこどもたちがやってくる。来た子から高座に上がるというとてもゆるい感じで続けている。歴史館の講義室から半ば吹きさらしの復原長屋に稽古場を移したらさらにゆるさが増した。江戸期の風合いの中にいると往時の時の流れにこちらの感覚が同期を始めるのだろうか。ぼくも自然と肩の力が抜け、子どもたちやお客さんと軽口を叩きたくなる。
観光客がついでに寄っていくというのを想定していたが、平日の上に客足が落ちる時間帯でもあり、いつもにぎやかというわけにはいかない。ところがこのところ、寄席で見たから、とか、ここでやってると聞いたもんだから、という近隣の人たちがぽつりぽつりと来るようになった。少しずつ存在が知られてきているようだ。
早く来た子が駐車場の車中で宿題をしていることを知った歴史館職員が長屋ですればいいのにとうれしいことを言ってくれた。畳の上に広げた漢字練習帳に一心に書き取りをする子、それを眺めていて、「その書き順はこうじゃないの?」と教えてくれるお客さん。そんな絵が浮かんでくる。「落語教室はこれからどうなっていくといいと思っていますか?」と新聞やテレビの取材で聞かれるたび答えに窮してしまうのだが、次はこれを語ってみようかと思う。
サ高住の稽古にも動きがあった。そこは山陰両県に幅広く展開している事業体で、どう話が経営者に届いたものか、他のサ高住でもやってくれないかという話が入った。これも前から願っていたことである。家の近くの高齢者施設に学校帰りに立ち寄って一席やる、というのは子どもが担うボランティアとしては理想型だと思うのだ。どんなに設備が充実していても、どれだけおいしい料理が供されても、高齢者施設に決定的に欠けているのは子どもの姿だ。時代劇だろうと現代劇だろうと、往来のような社会的交流の場には「ワーイ」と言って走り抜ける子どもたちのシーンが決めごとのように入る。単なる背景に過ぎなくても、それを入れないとリアリティが出ない。自由な人の暮らしに子どもの姿は不可欠なのだ。落語をしに行くというのは少々変形だけれども、変形が故にお声がかかったとも言える。