老い老いに 33
夕焼け通信は1999年4月、7年目に突入した。長女は高校2年生、長男が中学校入学、二男が4年生、私は一向に慣れない中学校での勤務2年目を迎えることになる。
子どもたちはそれぞれ大きくなったが、子育ての悩みは尽きない。行動範囲、興味の幅が広がる分、問題は大きくなる。時には義母も巻き込み、家族全体が険悪になることさえあった。仕事のことで私に気持ちの余裕がなくなっていたことも原因の一つかもしれない。
そんなこともあって、春休みは家族全員で息抜きに岡山へ一泊旅行にでかけた。近所に住んでいたKさん一家が、ご主人の転勤で岡山へ移り、遊びに来るよう誘われていたのだ。Kさん宅も子どもが3人居て、長男と二男は同学年だった。一緒に山に登ったり、海へ行ったりと家族ぐるみで仲良くしていた。仲が深まったのはKさんの長男が交通事故に遭ってからだ。事故後5日間意識が戻らないということで、長男と一緒に見舞いに行った。病室に入った際に目が合った途端、「ぎっつぁん、ぎっつぁん、ぎっつぁん」とK君が息子の名を連呼したのだ。事故後初めての発語だったので、お母さんはいたく感動された。
岡山市内に一泊の宿を取り、家族で向かう。待ち合わせ場所で久々にK君たちに会えた息子たちは大はしゃぎ。K君は、「ぎっつぁん」の発語をきっかけに少しずつ言葉を取り戻し、しばらくは後遺症に苦しんだもののすっかり元気になり、岡山での生活も順調とのことで安心した。二人の息子はK君宅でもう一泊し、私たち夫婦と娘、義母は松江に帰った。
実は二人だけでバスに乗って帰るということで、事前に練習をさせていた。ところが、それが冷や汗ものだった。出雲に向けて、私は車、息子たちは乃木駅で電車に乗った。荘原駅で降りるよう言い、一足先に駅に着いた私は改札口の前で待つ。2両編成の電車の後ろの車両に乗った二人が降り口に向かって歩くのが見えた。だが、二人が向かうのは前の車両の出口ではないか。そのうち電車が発車してしまった。慌てて車に戻り、次の直江駅まで車を飛ばす。と、線路わきの道路を必死に走る二人の姿を発見。ほっと胸を撫でおろしたのだった。
そういうことがあったので心配しながら駅に迎えに行くと、二人はももたろうエクスプレスから無事降りてきた。もっともバスは降り口が一つだが。