座付き雑記 1

 西川津から東奥谷に引っ越した。部分的に新しくなった実家に移り住むことになった。引っ越しは、5、6年ごとに8回繰り返したが、もうこれで最後にしたい。天災に見舞われたのなら仕方がないが、若い時分には何でもなかったことが苦痛になってきているのを今回はことに感じた。本を詰めた段ボール一つをこっちはヨイショと持ち上げているのに、引っ越し業者の若者はそれを三つ重ねて苦もなく階段を上り下りしていた。

 西川津では朝酌川がすぐそばを流れていたので、一歩外に出れば川面を見、飛び交う水鳥を目にした。それが見られなくなるのは淋しいが、何かを得れば何かを失うのが道理、なくしたものは数えまい。ついでに、朝酌川に架かるがらがら橋を通ることもなくなったので、当欄の題名も替えないといけなくなった。ふと浮かんできたのが座付き作者という言葉。座付き作者とは、芝居小屋などに専属している物書きのことで、その一座がかける芝居の脚本を書く人を指す。だが実際には江戸時代の座付き作者はそれだけでなく、プログラムを組んだり、配役を考えたり、演出したりとあらゆる雑事をこなしていた。自分がしないまでも俳優以外のすべてが座付き作者の仕事だったのである。それを知ったとき、今の自分が落語教室でしていることとよく似ていると思った。高座に上がることはないが、それ以外はすべて担う。オリジナルのストーリーも作ればチラシも作る。公演のマネージメントもする。どの子がどんなネタをかけて順番はどうするなど、誰にしてもらうわけにもいかず、自分でするほかない。使っている道具や手段が違うだけで、やってることは江戸時代のそれと何ら変わりない。昔の人も同じことで悩んだり喜んだりしたに違いないと思うと何だか心強い。

 さて、引っ越したところまではよかったが、今大いに困惑していることがある。ネットの開設工事を申し込んでいたのに、施工の連絡が待てど暮らせどなく、しびれを切らしてコールセンターに問い合わせた。折り返し施工業者から電話があり、「電話しようと思っていました」と宿題なら親子げんかになりそうな言い訳が始まった。挙げ句「もう、2、3カ月先になります」と脱力するようなことを言うので、すっかり気持ちが萎えてしまった。文句を言いたかったが、電話口の女性に非があるわけもなく、同種の電話をさせられては小言を浴びているだろうと想像できたので、何も言わなかった。我が身のネット依存の様子を客観視する貴重な機会になるかもしれないしな、と酸っぱいブドウよろしく呑み込むほかない。