ニュース日記 965 ドナルド・トランプと斎藤元彦
30代フリーター 毎日新聞の全国世論調査(4月12、13日実施)によると、兵庫県知事の斎藤元彦がパワハラ疑惑などで内部告発された問題で、告発者を特定し懲戒処分したのは「公益通報者保護法に違反する」と県の第三者委員会から指摘されたことについて、指摘を「受け入れるべきだと思う」が59%にのぼり、兵庫県の回答者に限っても5割強を占めている。それでも受け入れる気のない斎藤は世論の批判を浴びて辞職に追い込まれることになるのだろうか。
年金生活者 斎藤以上に法をないがしろにしながら権力を振るい続けるトランプの姿を見ていると、そうとは言えなくなってくる。
「違法」の指摘を受け入れない知事に対し、県議会が去年に続いて再び不信決議案を可決した場合を考えてみる。斎藤が対抗して議会を解散しても、議員選挙を経て新しく構成された議会が再び不信任決議案を可決すれば、彼は自動失職する。だが、後任の知事を選ぶ選挙に立候補すれば、斎藤は当選する可能性が相当程度あると見なければならない。
一番の根拠は議会による不信任決議で失職した斎藤が去年11月の知事選で事前の予想をくつがえして再選されたことだ。この事実は、たとえパワハラや公益通報者保護法違反の疑いがあっても斎藤を有権者の多くが評価したことを意味する。前の知事が進めた事業を無駄遣いとしてストップをかけ、行財政改革を進めたとする斎藤に対し、それに以上に有権者に響くビジョンを他の候補者たちは示すことができなかったということだ。
30代 斎藤再選の要因としてSNSの影響があげられた。他候補についてのフェイク情報や内部告発者への非難が流布され、さらに斎藤に対する県議会百条委員会の追求を「いじめ」と非難するメッセージが拡散された。
年金 それらが斎藤に有利に働いたことは確かだろう。しかし、最大の要因は前県政を否定する「改革」に有権者が期待したことにある。それは、トランプを生んだものとつながっている。
両者に共通しているのは「創造」なき「破壊」であり、それを支えているのは、とりあえずこのどうしようもない現状を壊してほしいという有権者の願望だ。
トランプは2度目の就任演説で「常識の革命」を始めると言った。そして始めたのが、法外な高関税、USAID(米国際開発局)の解体、WHOからの脱退といった既存の秩序の「破壊」だ。その対象はアメリカが覇権国家だった時代に世界支配のために必要としたシステムであり、覇権国家の座からずり落ちつつある現在、それらは大きな重荷に転じた。トランプはそれをリストラしようとしている。だが、「革命」のあとアメリカと世界がどうなるか、そのビジョンを示しているわけではない。
斎藤も同様だ。「改革」を掲げて初当選し、不信任決議で失職後の選挙でも同じ訴えを続けて再選されたが、これまでに実行したのは前任者の進めていた事業を次々ととりやめることだった。新しい事業として目立つのは県立大の無償化くらいで、それも受益者は県内高校卒の2%程度とされている。「改革」という名の「破壊」のあとどんな兵庫県を「創造」するのかビジョンは見えない。
30代 なのに、トランプにも斎藤にも信者に近い支持者がいる。
年金 信者だけでは当選できない。それ以上に大きいのは「前と同じような県政に戻したくない」という有権者が多いことだ。
斎藤に対しては、第三者委員会による「違法」の指摘を受け、立憲民主党系の県議会の会派が不信任決議案の再提出を視野に対応を検討する方針を示したと報じられている。だが、不信任案再提出の動きは議会内に広がっていない。さっきも言ったように、決議案が可決され、斎藤が失職したとしても、後任を選ぶ知事選で彼が再々選される可能性があり、議会は去年の再選に続いて2度も面目をつぶされる恐れがあるからだ。
アメリカでは反トランプのデモが各地に広がっているが、彼を辞めさせるのは斎藤を辞めさせるよりも難しい。議会による大統領弾劾には、下院で過半数が訴追に賛成し、上院で3分の2が有罪に賛成することが必要だ。次の中間選挙で民主党がそれを可能にする議席数を獲得する可能性はまずない。
斎藤もトランプもいろいろ悪いところはあるが、いま辞めさせてしまうと、前の政権と同じような政治にあと戻りする恐れがあり、それは嫌だという有権者が半分くらいいると推定される。
30代 危うい未来よりも、あと戻りのほうを恐れるのはなぜなんだ。
年金 日本でもアメリカでも、生活を支える経済の力がじわじわと弱まっているのが実感され、今の社会に希望を見いだすのが難しくなっている。それは今までのやり方が間違っていたせいだ、と多くの有権者が考え始め、それを壊す政治を待ち望むようになった。壊したあとどうなるかを考える余裕がないくらいその願望は切迫しているのかもしれない。
ポスト産業資本主義の限界があらわになっているのに、次の段階の資本主義の姿が見えてこない過渡期のきしみが経済の足を引っ張っていることが、世界史的な背景としてある。