老い老いに 28
夕焼け通信は奥出雲を拠点として6年目に突入した。編集長による「加害者としての私の戦争体験❘日本は中国で何をしてきたか❘」の講演録、Y氏の「放浪の記」、「看護・今、むかし」が連載される中、もう一つ連載が加わった。子どもの頃から悩みを抱えた上、成人してからは心身ともに大変な重荷を負って過ごされた体験を吐き出した「私の三十代」だ。原稿43枚を6日で書かれたというOさん。縁があって編集長と知り合いになり、夕焼け通信への投稿を勧められていたらしい。大好きだった作家の訃報に接した際、「書く」必然性が沸き起こったのだそうだ。連載を終えて書かれた文章の抜粋を次にあげる。
書き終えたとき、この7年間の苦しみがむくわれたと思いました。体験にことばを与えることで、一時的にせよ別次元に飛翔できる貴重な体験をさせていただくことができました。連載中、何人かの方々からご感想ご意見をお寄せいただきました。ある方から「Oさんのこえてきたかなしみが、どこかの誰かに勇気を与えています」というお便りをいただいた時は、目頭があつくなりました。
書くことは、人との出会いや別れによって触発されたというOさん。そして、書くことで、心の中の大きな重荷を軽くすることができたとのこと。様々な出会いの中でたまたま編集長と知り合い、夕焼け通信に投稿することで、読んだ人の心を動かした。Oさんは、体験にことばをあたえると書かれたが、ことばには書いた人の思いが乗っているのだと改めて思う。書くということは文字に思いを込めることで、読むということは文字から思いをくみ取るということだ。そういう意味では、夕焼け通信が様々な書き手の思いを乗せて発信し、あちらこちらに居る読み手がその思いを受け止めてくれているのだなと思う。
さて、私はというと、春休みのちょっとした息抜きに家族旅行した記録を、「天草旧婚旅行」というタイトルで連載した。新婚旅行でたどり着けなかった天草へ家族で向かったのだ。天草への旅も、手にした本から思春期の頃に出会った人の話を思い起こし、そこから想像が膨らみ、どうしても行ってみたいという思いにかき立てられたものだ。今回は6人に増えた家族が一緒、事前に宿泊所を確保しての旅だ。