ニュース日記 962 物語についての物語
30代フリーター 動画配信サービスのネットフリックスの映画やドラマのトップ10はたいていうち3~4本はアニメだ。日本では興行収入でアニメ映画が実写映画を凌駕し、海外でもアニメ人気は高い。
年金生活者 いま人びとが求めている物語は実写よりアニメのほうが適しているからではないか。
物語はどんなに複雑な話でも、主人公が困難を乗り越えて何かを達成しようと力を尽くすというのが共通のパターンだ。欠けたものを満たしていくこと、欠如を充足に変えていくこと、その過程を骨格として物語は成立する。
その原型は人間の生誕とその後の生涯にある。人間は一体だった母から離れ、存在の半分を欠いてこの世界に生まれてくる。その欠如を埋めることが生涯にわたる願望となる。現実には満たされることのないその願望を現実に代わって満たすのが物語だ。
30代 それならアニメでなくても。
年金 ところが、今の時代は現実そのものがその願望をある程度まで満たすようになった。資本主義の高度化が富の稀少性の縮減を加速し、貧困という欠如を埋めていったからだ。貧困を脱した現実が、生誕にともなう根源的な欠如を埋めるのを代替するようになったと言ってもいい。
そんな現実を映し出さざるを得ない実写作品は、欠如を埋める物語を作るのが難しくなってきた。現実が欠如の充足を代替し、物語のような役割をするようになったのなら、無理して物語を作らなくてもいいではないかということになる。だが、代替はあくまでも代替でしかなく、むしろ不全感を残して願望を強める。物語はいっそう求められる。
しかし、欠如の充足を代替するようになった現実を反映した物語では、人びとの願望を満たすことはできない。現実に逆らう物語が必要になる。それを作りやすいのは実写よりアニメだ。そこでは主人公は現実離れした理想に向かって、現実離れした手段と行動力で進んでいくことができる。
30代 物語と言えば、折口信夫は世界各地に共通する物語の類型があると指摘し、それを「貴種流離譚」と名づけた。高貴な身分に生まれた主人公が他郷に追いやられ、流浪したのちに、再び栄光を取り戻すという物語のパターンを指す。
年金 そうした物語は人間の生誕と死を両端として組み立てられている。吉本隆明はどこかで、物語には共通する基本パターンがあって、それはキューブラー・ロスの唱えた死の受容の5段階と同じ過程をたどるという趣旨のことを語っていた。どの著作か思い出せないので、記憶違いかもしれないが、この考えを貴種流離譚のひとつ『竹取物語』に当てはめると納得がいく。
ロスは『死ぬ瞬間』で、死期の迫った患者はおおむね次の5つの段階を通ると指摘している。
第1段階・否認(自分が死ぬなんて嘘だろうと疑う)
第2段階・怒り(なぜ自分が死ななければならないのかと怒る)
第3段階・取引(死なずにすむように取引を試みる)
第4段階・抑うつ(なにもできなくなる)
第5段階・受容(自分が死んで行くのを受け入れる)
これらの各段階を人間の生誕から死に至る過程に対応させると、次のようになる。
第1段階・否認(母胎の楽園を追われ、この世界の荒れ野に放り出された新生児は、その激変が信じられない)
第2段階・怒り(早く楽園に戻してくれと怒り、それに応じない母を憎む)
第3段階・取引(母の全面的な庇護を受けて喜び、不満を残しながらも妥協して、母を愛するようになる)
第4段階・抑うつ(母への愛が高揚期を過ぎ、反動で気持ちが落ち込む)
第5段階・受容(母胎の楽園に帰るのはあきらめ、その願望は代替行為で満たそうとするようになる)
『竹取物語』はこの各段階を省略や変形を含みながら進んで行く。かぐや姫はもとは月の世界の住人で、そこで罪を犯し、人間の世界に追放される。竹の中にいるのを竹取の翁に発見されて家に連れて帰られ、翁と妻の嫗に育てられる。翁はこの子に出会って以来、黄金の入った竹をたびたび見つけ、裕福になっていく。
ここまでの過程は第1段階から第3段階までの推移を象徴している。かぐや姫が否認も怒りもあらわにしないのは、翁に発見されたときすでにその段階を過ぎていたからだ。自分を追放した母に代わって庇護者となった翁と嫗への恩返しとして彼らに黄金を与える。愛という形をとった取引だ。
彼女は5人の貴公子から求婚されたとき、無理難題を吹っかけ、それにこたえてくれた相手と結婚すると約束する。こんな遠回しなことわり方したのも、育ての両親が5人に顔向けできないようなことにならないように配慮したからと解釈することができる。
第4段階の抑うつは、満月の下でかぐや姫が悲しい表情をしながら、自分は月に帰らなければならないと翁に伝える場面に象徴される。そして最後の第5段階は、彼女の昇天によって表現される。ただし、反転した形で。人間なら母胎の楽園への帰還はあきらめ、その代替行為で我慢するが、彼女は人間ではないので、ほんとうに楽園に帰って行く。
30代 ジイさんの解釈そのものが虚構の物語のように聞こえてきた。