がらがら橋日記 チャリティーコンサート&落語 2
きっかけの項にあーとが記しているように、彼女を突き動かしたのは、学校に行けず絵本にも出合うことのない世界の子どもたちの存在だが、同時に、チャリティーという貢献方法があって、自分にもできるんじゃないかと気づいたことが大きかったと思う。おそらく住職から話を聞いていたときにはすでに考えていたことだろう。落語会がチャリティになるのだったら、自分は加えてピアノも歌もあるから、きっとできるんじゃないか、と。
さてプログラムに並ぶもう一つ。
落語 1時間
落語に出てくる一人一人になりきって、みんなを思いっきり笑わせたいです。松江にまつわる落語もします。松江のれきしにきょうみをもってもらうきっかけになりたいです。小泉八雲の怪談の語りもします。八雲の伝えたかったことや、怖いだけじゃない世界を表現します。
時 2025年10月13日(月・祝日)
場所 県民会館中ホール
ゲスト プラバ少年少女合唱団 会に花をそえてもらいます。
きふ先 公益社団法人シャンティ国際ボランティア協会
えんじょをおねがいしたいこと チャリティーコンサート実行委員会への参加(当日の受付、ドア係など、チラシのせっちやこうほう活動)
以上があーとの作った企画書の全文である。小学校2年生の子がこんなこと構想して書けるのかと思われる向きもあるかもしれないが、家族の協力は当然あるにしても、彼女と一年半落語を通してお付き合いした身としては、少しも不思議に思えない。
あーとは、ピアノも歌も各コンクールで全国も含めてトップか上位入賞の常連で、誰もがその才を認めるのだが、その子がなぜ落語にも意欲を見せるのか、「きかく書」を見ながらぼくにはピンときたことがある。ピアノにせよ歌にせよ、美しさを追求するもので、評価も賞賛も作り出した美しさに対して与えられるものだ。そこへいくと落語はかなり異質。労苦への対価は拍手や賞賛の言葉もだけど、それより価値あるのはお客さんの笑い声だ。あーとにとっては、どれも表現なのだが、笑わせることを目的にしたものは落語だけ。それに驚いたし、魅力を感じたのだと思う。
お客さんを笑わせることにあーとは貪欲だ。尾籠な話でぼくが躊躇していると「なんでやっちゃいけないんですか」と言ってくるほどに。
読者の皆さまのえんじょをおねがいしたい。
