ニュース日記 961 「新重商主義」の時代か

30代フリーター 伊藤貫というワシントンDC在住の評論家がユーチューブで、世界は「新重商主義」の時代に向かっている、と語っていた。すべての経済的行為は自国の国益のためにするものだという考えが重商主義であり、これはトランプのやっていることそのものだ、と。

年金生活者 重商主義は16~18世紀のヨーロッパで絶対王政国家が採った経済政策で、国家が軍事力を使って植民地の獲得や貿易航路の開拓を進め、植民地貿易、遠隔地貿易を活発化させた。国家と資本が手を携えて稼ぐことによって、自国の経済力と軍事力を高めることを目指し、そのために、貿易黒字の維持や国内産業の保護を重視するのが特徴だ。それはトランプの「米国第一主義」と一致する。

30代 伊藤はこれまでのグローバリズムと新自由主義の賞味期限が切れたため、「新重商主義」がそれに取って代わろうとしていると説明している。

年金 国境を越えて安い労働力を求めるグローバリズムも、規制の緩和によるイノベーションを推進する新自由主義も、国家の縛りを嫌うところに特徴があった。しかし、それが行き着いた先は世界金融危機であり、国家による大規模な救済に頼ることを余儀なくされた。

 グローバリズムと新自由主義の後退の背景には、グローバリズムが求めてきた安い労働力を確保できる地域が経済発展とともに減ってきたこと、新自由主義が現在の資本主義の利潤の主要な源泉であるイノベーションを促進するために進めてきた規制緩和が一巡し、緩和の対象が少なくなってきたことがある。

 それらを消極的な要因とすれば、AIの進歩は積極的な要因と言える。AIの開発には膨大な費用がかかる。それに必要な高性能の半導体の開発も同様だ。それまで国家の介入を避けたがっていた資本は一転してその開発の負担を国家に求めるようになった。つまりグローバリズムと新自由主義に見切りをつけた。出番が減っていた国家はここぞとばかり開発のあと押しに乗り出した。

30代 重商主義は資本主義の最初の段階である商業資本主義の時代の産物だ。伊藤の見解通りだとしたら、現在の資本主義は初期の段階にバージョンを変えて回帰しつつあるということになる。

年金 植民地貿易と遠隔地貿易を利潤の源泉とした商業資本主義は、国家の軍事力を必須とした。人の土地を奪って植民地にし、敵国や海賊を退けて遠隔地間航路を確保するのは、資本の力だけでは無理だ。商業資本主義はそのインフラの整備を大きく国家に依存していた。

 商業資本主義の次の段階の産業資本主義は、産業革命という巨大なイノベーションを利潤の源泉とした。そのため、国内外の交通網、通信網を中心とした新たなインフラを必要とした。その規模の大きさは民間の手に余り、国家によるあと押しを不可欠とした。ただし、商業資本主義のように軍事力を直接には必要としなかったぶんだけ国家への依存度は前の時代より低下した。

 次のポスト産業資本主義(消費資本主義)の段階になると、インフラ整備を国家に頼る度合いはさらに減った。産業のソフト化が進み、その主要なインフラとなったインターネットの発展を主として担ったのは国家ではない。GAFAは国家に頼らず国家に匹敵する規模の再分配システムであるプラットフォームを築き上げ、国家に警戒されるまでになった。

30代 そのGAFAのトップがトランプの大統領就任式に出席し、彼にすり寄る姿勢を示した。

年金 AIという、産業革命時の蒸気機関に匹敵するような革命的な技術が登場したことが彼らの姿勢を変えた。AIがインターネットと違うのは、その開発に国家の支援、介入が不可欠な領域があることだ。それが世界は「新重商主義」に向かいだしたという見方の背景をなしている。

 インターネットは米国防総省が開発したものだが、その後の発展、普及は民間企業やオープンソースコミュニティーによって担われた。これに対し、AI開発の基礎研究は短期的な利益を生まないので、国家が支援しなければ進まない。専用の半導体の生産は、他国の企業に依存すると安全保障上のリスクが生じると国家は考えているので、国産化を進めようと産業育成に予算を投じる。さらにAIの進化はディープフェイク、バイアス、安全性など倫理的な問題をともなうので、国家による規制が避けられなくなる。

 商業資本主義を発達させた重商主義の時代も、資本に対する国家の支援、介入が大きなウェートを占めた。利潤の源泉だった植民地貿易、遠隔地貿易を支えた航海術の開発は現在のAIの開発に相当する。当時のポルトガル、スペイン、オランダ、イギリスは航路開拓のための探検航海に資金を提供したり、航海学校を設立したり、天文学者や地理学者を支援したりして、航海術の発展をあと押しした。

 国家と資本がタッグを組んで進む当時と現在の相似性は、商業資本主義、産業資本主義、ポスト産業資本主義(消費資本主義)と進んだ資本主義の段階の推移が一巡し、その反復がバージョンを変えて始まっていることを示唆しているかもしれない。