ニュース日記 959 AIがあらわにしたもの

30代フリーター 各国政府はAIの開発をあと押しする一方で、規制もし始めている。

年金生活者 誤情報や偽情報の拡散、プライバシー侵害、差別や偏見の助長、雇用への影響、悪用によるセキュリティー上の脅威などが規制の理由としてあげられている。だが、それだけでなく、AIの進化が権力にとって不都合な一面があることが考えられる。

意味を知らないまま文章を生成するAIは、言葉が論理ではなく欲求によってつながっていることを実証した。これまで高度で複雑と考えられていた労働、例えば裁判官の仕事などが大量の単純労働の集積であることも実証しつつあり、将来そのかなりの部分を奪う可能性がある。

 AIは、ソシュールの用語を借りるなら、シニフィエ(意味)とは無関係に、シニフィアン(言葉の音や形)だけをもとに文章をつくる。大量のデータから得た文章のパターンなどに基づいて、ひとつのシニフィアンの次に来るシニフィアンを確率論的に予測し、言葉をつないでいく。このことは言葉が意味、すなわち論理ではなく、感覚に刺激された欲求によってつながっているということを示している。

 労働について言うと、たとえば立法、行政、司法の実務はこれまで、複雑で高度な作業と考えられてきた。しかし、AIは将来その相当部分を代替するだけでなく、それを人間よりはるかに迅速、正確にやってしまう。

 マルクスは高度な労働を大量の単純労働の集積と考えた。AIは「高度な労働」を大量の「単純労働」に細分化し、それを高速で処理することによって、政治家や官僚や裁判官がしている仕事の多くを無用にしてしまうだろう。

30代 エリートは大あわてする。

年金 レーニンは、労働者が権力を握ると、国家の仕事がどうなるかについて次のように書いている。

《資本主義文化は、大規模生産、工場、鉄道、郵便、電話その他をつくりだした。そして、この土台の上で、古い「国家権力」の機能の大多数は非常に単純化されて、記帳や登録や検査といった、もっとも単純な作業に還元することができるので、これらの機能は読み書きのできるものならだれにでも完全にやれるものとなり、またこれらの機能は普通の「労働者賃金」で完全に遂行できるようになり、これらの機能から、特権的なもの、「お上ふう」なものの色合をすべてとりのぞくことができる(またそうしなければならない)。》(『国家と革命』宇高基輔訳)

 国家のしていることは複雑に見えるが、その大部分は「単純な作業」の集積だ。だから、それに権威や特権を与える必要はない。「お上ふう」なものを取り除けば、国家の権威的、抑圧的な側面は除去されるはずだ。レーニンの言っていることはそう読むことができる。

30代 そんなことが可能なら、とっくにそうなっていたのではないか。

年金 国家の機能の「単純化」は、資本主義が生み出したものを土台にしている、とレーニンは言っている。産業革命を経て発展した機械制大工業は労働を細分化することによって「単純労働」を社会の主要な労働形態にした。大量生産や交通・通信網の発達は、工場労働ばかりでなく、さまざまな作業を「単純化」した。戦後の日本で家電の普及が家事の「単純化」を進めたことを思い浮かべれば、わかりやすい。

 近代以前の国家では、特別な人物、特別な集団が、特別な力と技を使って高度な仕事をしていた。西欧の絶対王政を例に取れば、神から権力を授けられた王という特別な人物と、それを支える僧侶や貴族という特別な集団が、大多数の人びとのあずかり知らない力と技を使って仕事をしていた。

30代 そういうところは今も残っている。

年金 王政はなくなっても、独裁者を戴く権威主義的な国家や、カリスマ的な指導者に喝采を送る民主主義国家が存在しているし、国家の仕事は依然として、特別な人物ないし集団にしかできない高度で複雑な作業であるかのような通念が支配している。AIに期待されるのは、その通念を壊すことだ。

30代 いくら何でも期待しすぎだろう。

年金 国家の仕事が常人には難しい高度な仕事と思われているもうひとつの理由として、仕事が宗教性を帯びていることがある。

吉本隆明は国家の起源を宗教に求め、国家を宗教の最終の形と考えた。宗教が想定する神を人間の理想の姿を描いたものと考えれば、国家というのは社会の理想の姿を描いたものと考えることができる。そこから、国家は並みの人間にはできない理想の仕事をしているという錯覚が生まれる。

 国家の仕事を大そうなものと思わせている専門的な知識、経験、訓練は宗教の修行に相当する。それが国家の仕事の宗教性を支える現実的な基盤をなしている。AIにはそれらに代わるものとしてアルゴリズム(手順や規則)が人間から与えられる。それが「複雑労働」を「単純労働」に分解し、高速でその最適な組み合わせを発見して実行する。それが国家の仕事は「複雑で高度」という幻想を崩していくと同時に、国家の宗教性を剥ぎ取り、国家を抑圧的なものから国民に対して開かれたものにすることに寄与する。