がらがら橋日記 にこにこ寄席千穐楽
3月1日、奥出雲町立高尾小学校で「にこにこ寄席」千穐楽が行われた。ぼくが高尾小学校に赴任した年の5月に第1回を開いて以来(学校下の集会所で、お客さんは4人だった)、この日まで12年間続いたことになる。東京、大阪公演を含め公演数はトータル240回に上る。高尾小は、この3月で閉校になる。必然的な千穐楽だ。あいまいに終わっていく無形文化もあまたある中で、大々的に終了を宣言して惜しまれつつ終わる、そんなことができただけでも、いかに恵まれていたかを思わないわけにはいかない。
創始と継続とどちらが欠けても形を為し得ないのに、とかく創始者が持ち上げられる。あんまり連絡もないまま当日を迎えたので、行ってみたらえらく丁重な扱いを受けて戸惑ってしまった。学校もただでさえ小人数で手が足りないところに、大きなイベントになって、だれもがてんてこ舞いだったにちがいない。連絡がないのも宜なるかなだ。
向かう車中で何度も電話が鳴った。
「先生、今どこにいますか」
「そっちに向かってる。今大東のコンビニに止めて電話したところ」
「ああ、じゃああと30分くらいか。あのう、弁当用意していますから」
「はっ?もっと早く聞きたかったなあ。たった今お昼買ったとこなのに」
ようやくの連絡がこれだった。
会場では、最前列の真ん中に席が用意されていて、となりはゲストの三遊亭楽麻呂師匠、進行の中に来賓挨拶としてぼくの名前があがっている。どうにかしゃべったけれども、もっとしっかり考えておくべきだったと終わってから後悔に悶々とした。
新聞やテレビ局が何社も来ていて、寄席の前も後も続けざまにインタビューを受けた。聞かれたことに即座に答えないといけないし、目の前にテレビカメラがある。しゃべっているうちに何を言っているのか、何を聞かれていたのか、自分でわからなくなってくる。ああ、またこれだ。まあ、編集してくれるだろう。
すっかり青年になった当時のこどもたちがたくさん来ていた。寄席の一企画として真面目な大喜利ふうに思い出を語ってくれた。波が寄せては返すみたいに泣いたり笑ったりを往復した。子どもたちの落語も高尾の土の香りがしてくるようで、まさに無形文化財だと思った。
終わって帰ったら、なんだかぐったりとくたびれていた。喪失感というやつかもしれない。
