ニュース日記 958 トランプの無血主義
30代フリーター トランプが、ガザの住民を移住させ、跡地をアメリカの所有にしてリゾート開発すると言い出した。朝日新聞の社説(2月7日)は「『民族浄化』のそしりを免れない」と批判している。
年金生活者 流血の戦争を縮小する代わりに無血の戦争を拡大する彼の戦争観を示すものだ。イスラエルにとっては、無血で「民族浄化」ができるなら、こんな好都合なことはない。トランプと会談したネタニヤフは「歴史を変えうるものだ」と評価したと報じられている(2月6日朝日新聞朝刊)。イスラエルのテレビ局「チャンネル13」の世論調査によると、トランプ案に賛成が72%、反対17%だった(2月7日同朝刊)。
ただし、「実現可能」との回答は35%にとどまり、トランプの「型破りな発想」(ネタニヤフ、2月6日同朝刊)は、最初に大きく吹っかけて相手の譲歩を引き出す彼一流の「ディール」と見られているようだ。
トランプ自身も自分の言ったとおりにすんなり事が進むとは考えていないだろう。リゾート開発は将来構想であり、当面はネタニヤフ政権に「流血の戦争」をさせないことに狙いがあると推察される。無血の「民族浄化」をニンジンのように目の前にぶら下げられれば、ネニヤフも戦闘の継続がしにくくなる。トランプはそう踏んでいるのではないか。
30代 トランプがプーチンとウクライナ戦争の停戦に向けて交渉を始めることで合意した、と報じられている。
年金 戦闘による流血の戦争を、ディールによる無血の戦争に切り替え、商売に励もうというトランプの狙いが見える。
西側諸国はこれまでアメリカを先頭に「力による現状変更は認められない」「ロシアのウクライナ侵略は国際法違反だ」といった理由でウクライナの徹底抗戦をあと押してきた。
トランプはおそらくそんな国際法、国際秩序を信じていない。「力による現状変更」によって国家をつくり、パレスチナ人を排除、殺戮し、「国際法に違反」して入植地を拡大してきたイスラエルを絶賛支持しているのがトランプだ。バイデン政権も他の西側諸国もイスラエルの所業を容認してきた点では同罪だが、彼らはそれを棚に上げ、ロシアに向かって「力による現状変更は許さない」「国際法違反だ」と言う。
このことは、西側諸国やそれに追随する国際政治学者、軍事研究家がロシアのウクライナ侵略を非難するときの論拠にしている「力による現状変更」「国際法違反」といった主張が、絶対的なものでも、ゆるぎないものでもないことを示している。
30代 無法者のやり得が放置されかねない。
年金 私が知る限り、ロシアを非難できる根拠として唯一普遍性をもつのは、吉本隆明が提起した「人間の『存在の倫理』」だけだ。この倫理が帰結するのは「殺すな」であり、ウクライナ国民をいきなり殺し始めたロシアは、仮にその言い分がすべて正しかったとしても、完全にこの倫理に背いている。
だからといって、ロシアに対してはどんな犠牲を払ってでも徹底抗戦し続けるべきだというのではない。妥協による停戦を正当化し得るのも「人間の『存在の倫理』」だからだ。
30代 トランプはアメリカを再び偉大な国にすると言っている。
年金 近代史を見る限り、衰退した覇権国家が元の力を取り戻した例はない。それでもトランプがそれを主張するのは、中国やロシアの復活を目の当たりにしたからかもしれない。
ウォーラーステインによれば、近代の覇権国家は17世紀半ばのオランダ、19世紀半ばのイギリス、20世紀半ばのアメリカの3国だ。私の理解では、オランダは商業資本主義の段階の、イギリスは産業資本主義の前期の、アメリカはその後期の覇権を握った。このうちオランダとイギリスは現在、大国とさえ言えなくなったし、アメリカはトランプの言う通り「偉大」さを失った。
かつて世界帝国だった中国は19世紀に帝国主義列強の半植民地となったが、20世紀の辛亥革命、共産革命を経ていま世界第2位の経済大国としてアメリカと張り合っている。東西冷戦でアメリカと世界を2分して対峙したソ連は20世紀末に力尽きて崩壊したが、その継承国のロシアは低下した軍事力を立て直し、いま世界第2位の軍事大国にランキングされている。
だが、この両国がオランダ、イギリス、アメリカと違うのは、いずれも資本主義が未発達だったことだ。その伸び代を埋め、やがて大国化したのが現在の中ロだ。それは復活というより成長と呼ぶべきだろう。あるいは、未発達、未成長だったからこそ復活できたと言ってもいい。
30代 流血嫌いのはずのトランプが思い描く「偉大なアメリカ」は南北戦争後のアメリカをモデルにしているという見方がある。現在以上の深い分断を乗り超え、帝国主義国家として世界に打って出た流血の時代のアメリカだ。
年金 資本本主義の最新の段階、ポスト産業資本主義の段階にある現在のアメリカが、当時のような産業資本主義の段階にあと戻りするのは不可能であり、今後も最先端を走り続けるほかない。それが衰退への疾走になる可能性をはらみながら。