ニュース日記 956 多数者の自由と少数者の自由

30代フリーター トランプは移民やトランスジェンダーなどマイノリティーに不利な政策を推し進め、企業の中にはDEI(多様性、公平性、包摂性)への取り組みを後退させているところが相次いでいる。

年金生活者 トランプやその支持者らは、少数者の自由の拡張が多数者の自由を縮小するというゼロサムを前提にしている。原理的には少数者の自由の拡大は多数者の自由も広げるはずだし、それがあらまほしい姿だが、現実には富の稀少性がそれを妨げている。

30代 資本主義は富の稀少性の縮減を加速してきた。そのまま進めば稀少性はゼロになる、とジイさんは言っていた。

年金 そうなると、競争は不要になる。資本主義は駆動力を失い、心肺停止に陥る。

それを阻む力のひとつがインフレだ。デフレが稀少性の縮減を促すのに対し、インフレはそれにブレーキをかける。両者は長周期の呼吸作用のように交代を繰り返すことによって、資本主義を延命させている。

 東西冷戦の終結から続いたデフレは企業にイノベーションを強い、多様な生産と多様な消費を出現させた。それがマイノリティーを尊重する多様性の思想をあと押しした。その勢いを削いだのが、新型コロナとロシアのウクライナ侵略が招いたインフレだ。トランプはその流れに乗っている。

30代 少数者、多様性を尊重する考え方はいつから広がりだしたんだ。

年金 イマニュエル・ウォーラーステインによれば、彼の言う「1968年の世界革命」が女性の解放や人種の平等、少数民族の尊重など「少数者の自由」を求める運動を活発化させた。この「世界革命」が西側陣営に対してだけでなく、それと対立する東側陣営に対しても、さらに西側諸国の左派政党など伝統的な反体制運動に対しても異議を唱えたからだ。それらの既成の勢力はいずれも、マジョリティーである労働者の味方を標榜していても、女性や黒人、少数民族などマイノリティーの要求にこたえることには熱心でなかった。

30代 そんな世界革命があったのか。

年金 各国で同時多発的に起きたフランスの5月革命、日本の全共闘運動、アメリカのベトナム反戦運動、チェコスロバキアの「プラハの春」などをひとつの世界史的な転換点としてとらえた言い方だ。

 1968年は日本が高度経済成長のピークを迎え、世界第2位の経済大国となった年だ。先進諸国の国民は貧困のくびきから解放されつつあった。個人は自立意識を強め、国家に対しても、反体制運動に対しても、指導者の言いなりになるのではなく、自らの感性にしたがって行動するようになった。それが国家や既存の左派勢力に対する異議申し立てとなって噴出した。

 マイノリティーを重視する運動が活発になったもうひとつの要因は、それまで切り捨てられてきた少数者を養えるだけの社会の豊かさを富の稀少性の縮減がもたらしたことだ。当然の分け前を求めて、マイノリティー自身が行動し始めた。

30代 パイは大きくなっても、やはり限られている。配分をめぐるマジョリティーとマイノリティーのせめぎ合いは終わらないのではないか。

年金 だから、パイの大きさは過剰にならなければならない。だが、資本主義が続く限りパイが有り余ることはない。さっきも言ったとおり、この経済システムはパイの稀少性を縮減し続ける一方で、それを抑制し続けてもいるからだ。稀少性の縮減は利潤の源泉であるイノベーションの結果であり、縮減の抑制はシステムを駆動する競争を維持するためだ。

パイを増やしつつ、増え過ぎないようにする資本主義の運動を突き崩すものとしてマルクスは生産力の発展を想定した。

 「ブルジョア的生産諸関係は、社会的生産過程の敵対的な、といっても個人的な敵対の意味ではなく、諸個人の社会的生活諸条件から生じてくる敵対という意味での敵対的な、形態の最後のものである。しかし、ブルジョア社会の胎内で発展しつつある生産諸力は、同時にこの敵対的関係の解決のための物質的諸条件をもつくりだす。だからこの社会構成をもって、人間社会の前史はおわりをつげるのである」(『経済学批判』大内力ほか訳)

 マルクスの時代は資本家と労働者の階級対立が「敵対的関係」の中心をなしていた。現在では、マジョリティーとマイノリティーとのゼロサムゲームをそれに含めることができる。そうした関係は「ブルジョア社会の胎内で発展しつつある生産諸力」によって解体されるとマルクスは考えた。

 現在その「生産諸力」の発展に該当するものはあるだろうか。ジェレミー・リフキンはモノのインターネットの発展を考えた。それが3Dプリンターなどと連結されると、限界費用がゼロに近づき、個人はタダ同然で自分のほしいものつくったり、手に入れたりできるようになる、と(『限界費用ゼロ社会』柴田裕之訳)。

 だが、私たちの日々の生活からはそんな未来を予感することはできない。それでも「敵対的関係」をなくすほどの「生産諸力」を想定するとすれば、モノのインターネットも、いま急発展しつつあるAIも、まだその一部に過ぎないと考えるほかない。