人生の誰彼 28 昭和のシネマ
去る1月12日をもって松江イオン内にあったシネコン『松江東宝5』が閉館となりました。松江から映画館がなくなる?と当初は驚いたのですが、夏頃にイオンシネマとして復活すると聞いて一安心しています。
30年前にこのシネコンがオープンするまでの松江市内の映画館を巡る状況は混沌としていました。今回は少しばかりその思い出を辿ってみたいと思います。但し、古い話なので内容に記憶違いがあるかもしれませんが何卒ご勘弁を。
以前も書いたのですが、昭和35年生まれの私の最初の映画館の記憶は、駅通りの現在のボートピア松江の辺りに隣同士で並んでいた『東宝劇場』と『松江大映』でした。子どもから見ればゴジラとガメラ、両雄相まみえる夢のような空間でありました。当時この一帯は映画館の激戦区で、周辺には複数の劇場が建ち並んでいました。何故かよく覚えているのが『大劇』という成人向映画の上映館で、新聞にポルノ映画の広告が載っていたという大らかな昭和の時代でした。
中学生になると興味はポルノ、じゃなくて洋画に移り寺町の『松江中央劇場』通いが始まりました。中央劇場は白潟天満宮近くの天神川沿いにあって、サンダーバード2号のコンテナのような巨大な蒲鉾型の建物は遠くからでも良く目立ち、いかにも映画館でござい!という威容を誇っていました。
同じ頃、天神町の中村茶舗の向いのビルに『松江パレス』なる映画館があったらしいのですが、どのような映画を上映していたのかは全く記憶にありません。その後パレスは『松江東映(後に『松江国際』と名称変更)』と『松江スバル』に変わり、洋画や東宝、東映、角川系の邦画を上映していました。
あと、立地的に不思議だったのが松江随一の飲み屋街である伊勢宮の横丁にあった『松江スワン座』、後の『松江第二中央』でしょう。永らく松江に住んでいながらその存在を知らなくて、初めて行ったときは「こんな所に映画館があったんだ!?」と狐につままれたような気分になったものです。
そう言えばいつぞや宮森氏が想い出を書かれていた殿町の松江一畑百貨店内にあったという『一畑劇場』ですが、NHK松江放送局のHPで映画館内の写真を見ることができます。「NHK一畑劇場」でググると出てきます。他にも懐かしい写真がてんこ盛り、まさに昭和の秘蔵写真ですね。