がらがら橋日記 松江歴史館②
歴史館の利用の便宜を図る代わりに、というわけでもないだろうが、松江城にまつわる史実や伝説の資料を渡されて、子どもたちの語りに使ってもらいたい、と言われた。松江の歴史を伝承するのが館の存在理由だから、こども落語を使って、これまでとは違った活動ができないかと考えたようである。
出張落語会の依頼が間断なく入ってくるようになったが、なにゆえ呼ぼうと思ったか、ぼくは、それについてはどうでもいいと思っているので自分から聞くことはしない。でも、主催側から話されることがある。多いのは、集まりのよくない町内会や諸団体がこども落語があれば招き寄せることができるだろう、というものである。人寄せの難しさは、ぼくもそれなりに経験を積んできたから痛いほど知っている。だから、それを聞いても正直な思いを話されたと共感こそすれ、不快に思うことなどさらさらない。むしろ、だれもこどもの明るくて楽しそうにしているところ見たいのですよ、その需要をくみとられたってことです、としたり顔でほざきたい気持ちに駆られる。
歴史館も大手門から天守閣に上がり再び大手門を出て行く大多数の観光客を尻目に、風情に勝りながらも人々の動線からずれている悲哀をどうにかせんと考えた末の申し出だったかも、と想像する。だとすれば、それはとても目の付け所がよかったですね、と言いたいし、そう思われるようこちらの努力が今度は問われることになる。
松江城には代表的なところで三つの怪異譚が伝わっている。学校の怪談みたいなもので、お堅いところであるほどゴシップでバランスを取りたくなるのだろう。正史だけでは満足できないのが人間ってもんだろうから、松江城の魅力は出自の怪しげな伝承によって補強されるのだ。
ところが、何百年も語り伝えられ、資料にも繰り返し記され、その気になればすぐにでも目にすることのできるこれらの話をぼくは一つも知らなかった。もしかすると一度や二度は目にしたかも知れないが、どこにでもある話と、傲慢にもどこか小馬鹿にして捨て置いてしまった可能性もある。
こどもが語る、というお題を頭に置いて、この怪異譚と築城にまつわるエピソードを繰り返し読んだ。そのまま語ったのでは、資料を読むのと同じだから、子どもたちも語っていておもしろくないだろう。どうしたら語りたくなるか、これは自ずと答えが出ている。落語教室に依頼があったのだから、小咄、落語にアレンジするしかない。