ニュース日記 949 谷川俊太郎と吉本隆明
30代フリーター 谷川俊太郎が亡くなった。
年金生活者 吉本隆明の『言語にとって美とはなにか』の核心を鮮やかに絵解きする言葉を谷川が残していることを、朝日新聞編集委員の吉田純子の追悼記事で知った(11月19日夕刊)。谷川はこう語っている。
「音楽は、無意味だからこそ素晴らしい。意味を引きずる言葉を、どう無意味に近づけるか。それが詩の問題なのだと僕は思っている」「言葉は、どうやっても音楽にはかなわない。僕はきっと死ぬまで音楽に嫉妬し、片思いし続けるのだと思う」
「意味を引きずる言葉を、どう無意味に近づけるか」という問いを、吉本の言語理論に翻訳すると、「指示表出を引きずる言葉を、どう自己表出のかたまりに近づけるか」ということになる。指示表出とは対象を指し示す働きであり、自己表出は言葉を発する者と受け取る者の心の位置と向きを決める作用を指す。写真にたとえれば、前者は被写体を写し取る動作に相当し、後者は撮影者の位置と向きを表すアングルにあたる。被写体には意味があるが、アングルに意味はない。
30代 吉田は記事の中で、谷川の詩に武満徹が曲を付けた反戦歌「死んだ男の残したものは」を次のように分析している。
《詩は、六つの連からなる。最初から四つ目までの連はそれぞれ、かようなフレーズで閉じられる。
「墓石ひとつ残さなかった」「着もの一枚残さなかった」「思い出ひとつ残さなかった」「平和ひとつ残せなかった」
「残さなかった」から「残せなかった」へ。個の意思を奪い、すべてを虚無とする。これが戦争の本質なのだと、「さ」と「せ」のたった1文字の違いで語り尽くしてみせた。》(同夕刊)
年金 私はそこを読んだとき、ゴシックで書かれた四つのフレーズをひと続きの文章のように錯覚し、最後の「平和ひとつ残せなかった」への「転調」に泣きそうになった。「『さ』と『せ』のたった1文字の違い」を支点にした「転換」が不意打ちのように鮮やかだったからだ。
「転換」は「韻律」「撰択」「喩」とともに「言語にとっての美」を生み出す自己表出の作用と吉本は考えた。
《われわれの言語美学的考え方からすると、まずはじめに〈韻律〉が根底にあり、それから場面をどう選んだかという〈撰択〉があり、表現対象や時間が移る〈転換〉ということがあります。そしてメタファー(暗喩)やシミリ(直喩)などの〈喩〉があるわけです。この四つは言葉の表現に美的な価値を与える根本要素になるわけです。》(『詩人・評論家・作家のための言語論』)
「残さなかった」の反復が「韻律」を生み、「墓石」や「着もの」や「思い出」や「平和」が「撰択」され、それらが「残さなかった」「残せなかった」ものとして戦争の「虚無」の「喩」をなし、そして「さ」から「せ」への転換が全体の構成の要をなしている。
30代 吉本は『言語にとって美とはなにか』で自己表出を「対象にたいする意識の自動的水準の表出」と説明した。それから40年余りのち、次のように言い直した。
《自分と、それから理想を願望するもうひとりの自分とのあいだがどれだけ豊富であるかということ、これが自己表出の元であり芸術的価値の元である。厳密にはそういうふうに言い直さなければいけないというのがぼくの考え方です。》(『日本語のゆくえ』)
年金 「理想を願望するもうひとりの自分」とは、私の理解では「母胎の楽園への帰還を願望する自分」ということになる。これに対して、それがかなえられない願望であることを知っている現実の「自分」がいる。吉本はこのふたつの「自分」の間の豊富さが自己表出の元だと言っている。
「理想」すなわち「楽園」に到達することは現実には不可能だ。だから、それを願望する「自分」はその代替物を求めるほかない。それは本物ではないので、得られても必ず不全感が残る。言い換えれば、現実の「自分」は元のままであることを認めざるを得ない。その不全感がさらに代替物を求めさせ、それが繰り返される。
その繰り返しが言葉において行われるときにおのずと描かれていく軌跡として自己表出が生まれる。理想を願望する「自分」と現実の「自分」との間に蓄積されていくその繰り返しの豊富さが自己表出の元になる。そう吉本は言っているように聞こえる。その豊富さは差異をともなう反復からなる時間的な豊富さということができる。
「松島やああ松島や松島や」という句を現実の「自分」と「理想を願望する自分」との間で繰り返される問答として読むと、最初の「松島や」の背後に松島の絶景に没入したい「自分」、楽園の代替物としての松島に包み込まれたい「自分」、そういう「理想を願望する自分」を感じ取ることができる。しかし、そうなれない現実の「自分」が他方にあり、それが「ああ」という嘆息となって、いっそう切実に松島を求める「松島や松島や」へと続く。
吉田は別の追悼記事で「谷川さんは詩という子宮の中で、胎児のごとく、時に無意識に、言葉の宇宙と戯れることができた」と書いた(11月19日朝日新聞デジタル)。