ニュース日記 948 失職知事のブリュメール18日
30代フリーター 兵庫県知事選で斎藤元彦が再選された。
年金生活者 不信任決議で彼を失職させた議会の意思を全否定する選挙結果は、19世紀なかばのフランスで軍事力によって議会を解体し、独裁権力を握ったルイ・ナポレオンのクーデタの無血版のように見える。
ルイは、1848年の革命で王政が倒れたあと成立した第2共和政のもとで大統領に当選した。しかし、議会では少数与党で、政治の主導権を握れなかった。それをくつがえすために決行したクーデタはその直後の国民投票で92%の支持を集め、1年後の再度の国民投票を経て彼は皇帝に即位した。
ルイが国民を代表する議会を無視したにもかかわらず、国民の支持を得た理由を、マルクスは「フランス社会で最も人数の多い階級」でありながら、議会の中に自分たちの代表を持たなかった「分割地農民」の代表者になったことにあると分析した(『ルイ・ボナパルトのブリュメール一八日』植村邦彦訳)。
斎藤の再選に寄与したのも、議会に自分たちの代表者を持たない有権者だったと思われる。分割地農民が文字通り「分割」された土地で孤立した生活を送り、横のつながりを持つことができず、そのために自らの代表者を持てなかったように、斎藤に投票した有権者の多く、とりわけそのなかの若い層もまた横につながることのできない孤立を抱えていたと推察される。
30代 19世紀フランスの農民と今の日本の若者とでは違いが大き過ぎる。
年金 マルクスは次のように言っている。
「分割地農民は膨大な大衆を形成しており、その成員はみな同じ生活状況にあるが、相互に様々な関係を結ぶことがない。彼らの生産様式は、彼らを相互に交流させる代わりに、互いに孤立させる。この孤立は、劣悪なフランスの交通手段と農民の貧しさによって助長される」(同)
「みな同じ生活状況にあるが、相互に様々な関係を結ぶことがない」のは、今の日本の若年あるいは壮年の現役世代が置かれた状況に似ていないか。戦後のある時期まではそうではなかった。企業はかつての農村に代わる共同体の役目を果たし、そこで働く労働者やその家族は「相互に様々な関係を結」び、「互いに孤立」することはなかった。
彼らはそうした共同体を通じて政治ともつながっていた。選挙になると、労働組合から、あるいは企業の経営者から、社会党あるいは自民党への投票やそのための運動を呼びかけられ、多くはそれに応じた。積極的にではないにしても、彼らは議会の中に自分たちの代表者を持っていた。
だが、労働組合の組織率は大幅に低下した。ひところ目立った企業ぐるみ選挙も、公選法が厳格化され、多様な価値観の尊重が叫ばれるようになって減った。議会の中に自分たちを代表する政党を持つ労働者は少数派になった。言い換えれば、今の日本の政党全体が潜在的な少数派になったと言える。兵庫県知事選はそれをあらわにした。
30代 その選挙結果が県民のためになるとは限らない。橋下徹は内部告発者を処分した斎藤を権力を持つ者として不適格と批判している。
年金 もう一度マルクスの言葉を借りる。
「しかし、フランス国民の大多数を伝統の重圧から解放するには、社会に対する国家権力の対立が純粋なかたちで現われるようにするには、帝政のもじりが必要であった。分割地所有の零落がすすむにつれて、そのうえに建てられた国家構築物は崩壊する。近代社会が必要とする国家的中央集権制は、封建制度との対立のなかできたえあげられた軍事的・官僚的統治機構の廃墟のうえにのみ成立する」(『ルイ・ボナパルトのブリュメール一八日』村田陽一訳)
ルイ・ナポレオンを「帝政のもじり」と皮肉るマルクスは他方で、フランス国民を封建制の残滓から解放するにはその「もじり」が必要だったとして、ルイの独裁に一定の評価を与えている。斎藤に対しても「大阪維新のもじり」と嘲笑しながら、しかし「もじり」は必要だったと言うかもしれない。
兵庫県の知事は斎藤の前任者まで4代、59年にわたって、内務省か自治省出身の副知事が後継指名されて次の知事になっている。これについて次のような指摘がある。
「職員にとっては行政的にとても安定した政権なんですね。ナンバー2への禅譲なら、政策は基本的に『継続』ですし、職員の評価軸もぶれません。なにせ、前の知事が引き立てた幹部がそのまま残り、その幹部たちが評価する職員が次の幹部になっていくわけですから、仕事の仕方も迷わずに済むわけです」(元サンデー毎日編集長・潟永秀一郎「『知事の座を追われて終わり』にしてはいけない兵庫県の“斎藤劇場”」)
その体制の裏で既得権益が蓄積されていったことは想像に難くない。その「伝統の重圧」から県民を解放し、自治体権力がそのもとにある現実の社会と対立するまでに至った実態をあらわにするには、「伝統」の担い手の一方だった議会の意思をひっくり返す斎藤の再選が必要だった。たとえ彼が法の支配を免れようとする独裁的な振る舞いをする人物だとしても。マルクスはそう考えそうな気がする。