老い老いに 13
夕焼け通信1年目に何らかの形で文章を載せたのは6名、2年目は11名。3年目は100号記念に寄稿いただいた方を除いて12名の文章が掲載された。前号では国際色も出て来たと書いたが、この12名の中には、彫刻家、陶芸家も含まれている。「羅漢を彫る」を連載された大田出身の彫刻家。その方は、円空上人、木喰上人に心酔し、上人たちが造仏した北海道の地にご自身移り住んで活動しておられる。編集長の依頼を受け、夕焼け通信のロゴマークを考案して下さった。「窯場随想」を書かれた方は九州出身で、大田で窯を開いておられる陶芸家。奥さんと二人で大田の山間の地に窯を築かれた。その当時幾度かお邪魔したことがある。一軒家で周りには畑や果樹園があり、出された器はすべて手作り。何と心豊かな暮らしの空間だろうと羨ましく思ったものだ。
国際色も、芸術色も出て来た3年目の夕焼け通信に私は何を書いたかというと、まずは「続ギイチ君の虫遍歴」。春から秋にかけては虫、冬になると毎年変わるマイブームにのめり込むギイチ君の尽きないエピソードを綴った。途中、二人の息子を連れ、障がい者と交流を図る船旅に参加した体験を書いた「ひまわり号隠岐へ行く」を挟み、「絵本を読む」を連載した。担任した子どもたちや我が子に読み聞かせてやって喜んだものなどが主だ。そこに、夕焼け通信を秋鹿で広めて下さった公民館の職員さんに紹介してもらったのもいくつか登場している。もちろん、それらの絵本はすぐに手に入れ我が子にも読んで聞かせた。
我が子3人とも赤ちゃんの頃に喜んだのが「いないいないばあ」「くだもの」だ。長女との思い出の絵本はというと、「ぞうのたまごのたまごやき」。作中の詩に勝手に曲をつけ、お腹の中に長男を抱えながら二人手を繋いで歌いながら保育所を行き帰りした。長男は、「きかんしゃやえもん」。まだ字が読めないのに、ページをめくりながら得意げな顔をして大きな声で諳んじていた。二男は「エルマーの冒険」3巻を何度繰り返して読まされたことか。近年、「絵本を読む」で紹介した作家たちが亡くなったという記事を新聞で見るにつけ、心の中にぽつりぽつりと穴が空いていく。