ニュース日記 947 覇権国家の交代はなぜ起きるか

30代フリーター 「米国第一」を掲げるトランプの返り咲きは、他国のことをかまっていられなくなって覇権国家の座からずり落ちた現在のアメリカを象徴している、というのが先週のジイさんの話だった。覇権国家というのはなぜ交代を繰り返すんだ。

年金生活者 資本主義の発展段階の推移がそれを引き起こす。これまで資本主義は商業資本主義、産業資本主義、ポスト産業資本主義(消費資本主義)と推移し、それぞれの段階に適合する覇権国家を誕生させてきた。

 柄谷行人は『帝国の構造』でウォーラーステインの近代世界システム論をもとに、ヘゲモニー国家(覇権国家)の交代の推移を年代を入れて表にしている。それによると、オランダが最初の覇権国家で、それは1750年まで続いた。1750年から1810年までは覇権国家が不在で、そのあと1810年から1870年まで英国が覇権国家になった。1870年から1930年まで再び覇権国家の不在が続き、1930年から1990年まで米国が覇権国家となった。それ以後はまた覇権国家が不在となり、現在に至っている。

 覇権国家が存在する期間も不在の期間も、ともに60年となっている。オランダがいつ覇権国家になったかは記されていないが、60年を当てはめれば1690年ということになる。また現在の覇権国家の不在の状態は2050年まで続く勘定になる。

30代 それぞれの覇権国家は資本主義の各段階にどう適合したんだ。

年金 オランダは商業資本主義の時代に必要とされた交易のための港湾の整備、東インド会社の設立による商業航路の確立、金融制度の整備などを進めて、覇権国家にのし上がった。イギリスが覇権国家になったのは綿工業などの機械化が進んだ産業資本主義の前期の段階で、原材料や製品の輸送のための運河の建設、道路の改良、鉄道の建設などを進めることで発展を遂げた。

 そして重化学工業が中心となった産業資本主義の後期に覇権国家となったアメリカは、鉄道網、道路網の整備のほか、電力、通信、航空などのインフラ整備を進め、世界の工場になった。

 ひとたび覇権国家になった国は、出来上がったシステムに縛られて新しい段階に適応できない。衰退は避けられず、覇権を後発の国に奪われるほかない。

現在の消費資本主義はITとAIの発展に支えられている。次の覇権国家になるにはその発展を独占的に主導する力が必要となる。今はどの国もそれだけの力を持っていない。それが定まるのは、60年循環を前提にすれば四半世紀あとだろう。

30代 経済力だけでは覇権国家になれないはずで、最後にものを言うのは軍事力だろう。

年金 資本主義の各段階で必要とされる産業インフラの整備を通して経済発展を遂げた覇権国家は、他の国の発展のモデルとなった。しかし、それだけでは覇権を維持することはできない。

覇権国家と他の国家との関係は、国家と国民の関係と相似形をなす。柄谷行人が国家と国民の間に成立すると考えた交換様式B=服従と保護(略取と再分配)が、覇権国家と他の国々との間に成立する。

 覇権国家は、国民に対して税の支払いを強制し(服従、略取)、それで産業インフラを整備した(再分配、保護)ように、他の諸国に対しては、群を抜く経済成長によって手にした圧倒的な軍事力を使って言うことを聞かせ(服従、略取)、代わりに経済活動を妨害する者から守った(保護、再分配)。

 敗戦後、アメリカに軍事的に従属することで、できるだけ軍備に税金を使わず、そのぶんを産業インフラの整備に使った日本の姿にその典型を見ることができる。日米同盟はその産業インフラの土台をなすインフラということができる。

 アメリカが覇権国家の座を降りざるを得なくなったのは、日本の高度経済成長やその後の中国の経済大国化にともなって、産業資本主義の後期の牽引車たり得なくなったことと、各国の産業インフラを支えるインフラである圧倒的な軍事力を維持できなくなったことによる。

30代 覇権国家と他の国家との関係が国家と国民の関係と相似形をなすとすれば、覇権国家が不在の時代はどうなるんだ。

年金 覇権国家と他の諸国家との大規模な交換は、国家と国民の間の交換に置き直して考えると、国民や企業から税金をたくさん取る代わりに、国民や企業へのサービスもたくさんする大きな政府の振る舞い方に相当する。同盟国に米軍基地を置く代わりに、核の傘を頂点とした安全保障のシステムを提供し、世界の警察官として振る舞っていた時代のアメリカを思い浮かべればイメージしやすい。世界をひとつの国家になぞらえると、覇権国家が存在する時代は大きな政府の時代であり、それが不在の時代は小さな政府の時代とみなすことができる。アメリカを後者の時代に見合った規模に縮小しようとしているのがトランプだ。

 小さな政府は交換の規模を縮小して経済への介入を小さくし、富の分配を市場での競争にゆだねる。アメリカだけでなく、各国が「自国第一」への傾斜を強めているのは、小さな政府のもとでの競争の激化と相似形をなしている。