がらがら橋日記 馴染む

 サ高住での稽古も4か月が過ぎた。何度も直に顔を合わせていると自ずと化学変化が起きるものだ。入居者の年齢層は90歳前後、子どもたちとは80年を隔てる。

 ぼくが物心ついたときには、曾祖父母は父方母方ともに物故していたから、幼いときにそんなに年の離れた人と接した経験がない。ぼくの子どもは祖母、子どもにとっての曾祖母に会ったときに押し黙ったまま身を固くしていた。祖母は、「こげなしわくちゃの生き物なんか見たことないけん、こわかったとこだ」と言った。たぶん祖母の見立ては正しかったと思う。

 ひょっとすると、落語教室の子どもたちも初めそうだったかもしれない。そしてサ高住の老人たちも小さな子どもたちにどう相対したものか戸惑いがあっただろうと思うのだ。たびたび接していないと異世代も異文化も異性も徐々に異界に姿を変えてしまう。

 馴染む、という言葉は馴れ染むから生じたという。双方の境界がしだいに緩んで染みるように交わっていくさまが思い浮かぶ。子どもたちと老人たちとがまさにそれだ。稽古を終えると、子どもたちは稽古場に借りている一室の出口に立ち、老人たちにお礼を言いながら送る。老人たちも声をかけながら子どもたちの前をゆっくりと歩き、またカートを押して自室へと帰っていくのだが、子どもたちと老人たちとの物理的な距離は、回を重ねるごとに少しずつ縮まっている。子どもたちの頭の上に置かれていた老人たちの手は、やがて頬を包み、肩や背を撫でさするようになった。老人たちの手のひらのセンサーが子どもたちがそれを許しているのを感じ取っているのだ。

 ぼくも子どもたちと同じように、入居者に馴染んでいっている。自分を規制していた蓋を一枚一枚外していくように。稽古が始まる前の、まだ子どもたちが来ていない時間からやってくる老人たちもいて、よくしゃべるようになった。

「私ね、学生時代東京にいたのよ」

「ううん、それよりずっと前かな。楽しかったわあ、あのころ。寄席にもずいぶん行ったのよ。ほかに娯楽もなかったけど、ほんとにおもしろかった」

「ああ、そのころだったら名人がいっぱいいたでしょうからね」

 うらやましかったので正直にそう言った。

「そうなのよ。それが言いたかったのよ。ああ私、こんな話がしたかった。だってする人いないもの」

 こうした時を重ねる先に、子どもたちにも心の底を語る人が現れ、子どもたちも自身のことを話したく思う人を見つけるのじゃないかという気がしている。