老い老いに 11

 阪神淡路大震災という未曽有の災害に見舞われた1995年。その4月に夕焼け通信は3年目に突入した。そして、6月12日には100号に達し記念号を発行する。編集長が事前に寄稿をお願いしていたところ、たくさんの人から文章を寄せていただき、通常B5版で3段組み4ページの紙面が、この100号記念通信は12ページにまで膨らんだ。

 県内は安来市、松江市、出雲市、江津市から、県外は米子市、高知市、岐阜県から、精力的に執筆活動を行っている方のみならず夕焼け通信を毎号読んで下さっている方など、広い範囲からたくさんの方に随筆、随想、短歌などを寄せていただいた。

 その中で、ある方は夕焼け通信が100号まで続いた要因を分析して下さっている。5項目あり、簡潔にまとめさせてもらうとこうだ。1、スタッフの熱意、2、執筆陣の筆力、3、無償であり、読んでもらうことに喜びを感じていること、4、身内だけの閉鎖的な物でなく公開性であること、5、熱心な読者を持っていること。2についてはちょっと首を傾げてしまうけど、あとは頷ける。さすがに広報に携わっている方の分析だ。最後に、「この通信が100号と言わず、200号、1000号と継続することを心から祈念いたしております。」と結ばれているのだが、実際1000号をはるかに超えて発行し続けるとは、誰も思っていなかっただろう。ただ、現在は書き手が限られてしまっていて、5項目が必ずしも守られているとは言えない。1については、スタッフが減ってしまった。熱意については、炎をあげるのではなく熾火のように静かに燃え続けている。2は当時から首をすっと上げることはできずにいる。3は当時のまま徹しているし、4も心がけは変わらずにいる。そして、何といっても一番は5だ。飽きもせず読んでくれる方がいるということ。

 今年、編集長は秋鹿で開催された敬老の日の集いに招かれたそうだ。その際、集まった人たちの口から夕焼け通信の話題が出たとのこと。100号記念誌の中に、公民館の職員さんが利用者である地域の方に声掛けしてくださっていて、夕焼けに秋鹿はなくてはならい地となりそうだとの記載がある。発祥の地秋鹿は、夕焼け通信のふるさとなのだなと改めて思う。