人生の誰彼 26 そして、出雲
先日、所用があって松江市から出雲市までJRの普通列車で行ってきました。何ゆえ自動車を使わなかったといえば、交通違反で免停になったとかではなく、ただ単に用事というのが酒を飲むことだったからに過ぎません。
鉄道で出雲までというのは思い出せないくらい久々のことで、ガタンコトンコトンというレールの継ぎ目を拾うリズミカルな音が心地よく、また懐かしく心に響いてきました。両親の実家は両方とも出雲なのですが、私が中学校に上がるまで父は自動車の運転免許証を持っておらず、それまで祖父母の家に遊びに行くときはいつも国鉄か一畑電車を利用していたからです。
心地よい揺れにねんたがさばーましたが、列車が出雲市駅に近づくにつれある記憶が蘇りました。当時母の実家が出雲市駅から松江方面に一キロばかりの線路沿いにあったことを。玄関を出ると家の前の細い砂利道のすぐ向こうが土手になっていて、その上が線路でした。だから母の実家に行ったときは、目の前を走る汽車や電車を眺めるのがとても楽しみでした。そして松江に帰るときは、出雲市駅発の時刻を祖父母に伝えておくと、私たちの乗った列車が通過するころに家の前に出て手を振って見送ってくれました。もちろんこちらも見逃さないように窓に顔をくっつけるようにして手を振り返したものです。
それを思い出した私は、母の実家のあった場所を確認しようと昔のように窓に顔をくっつけるようにして流れる風景に目を凝らしました。随分前に引越しをしているので家自体は跡形も無くなっている可能性が高かったのですが・・・何とありました、それらしい廃屋が残っていたのです。ほんの一瞬でしたが見紛うはずがありません。進行方向は逆でも、祖父母が手を振っているような幻が見えたのです。もう半世紀以上昔のことなのに、人というのは記憶の海の中を漂いながら生きているのだとつくづく感じました。
私が小学6年生になったころ母の兄が郊外の住宅地に家を建て、祖父母もそこに移り住むことになりました。けど、そこはもう慣れ親しんだお爺ちゃんお婆ちゃんのお家ではなく、無愛想だった伯父さんの見知らぬ家。気兼ねなく遊ぶこともできず、汽車を眺める楽しみもなくなりました。その後、事情があって伯父の家には行くことができなくなり、祖父母との思い出も途絶えてしまったのでした。