がらがら橋日記 出雲弁のはなし⑥
その子は、これまで件の出雲弁落語を3度高座にかけたが、どの回にもぼくからすれば少々特異と思える反応をいただいている。子ども落語に関わって十数年、お客さんの反応はいくつかに類型化でき、表現は異なっていても、どれかにあてはまるのが常である。
まずは「おもしろかった」というもの。おもしろい話をおもしろいと感じてもらえれば落語の目的は達するのだから、これを言われると素直にうれしい。子どもたちにとっては「やってよかった」という充実感を覚える言葉である。
次いで「上手だったよ」。これは、巧みに演じたね、という意だから、これも子どもたちは報われた気になるうれしい言葉だ。
それから、「よく覚えたね」。通常5分も10分もかかる長い話を記憶して語るなどという機会はないので、確かに子どもたちは賞賛に値することをしている。これも子どもたちは喜んで聞いているが、少しひねた見方をすると、おもしろかったか否か、上手だったか否か、いずれとも無縁に成立する褒め言葉だ。
ところが、この出雲弁落語に関しては、「また聞きたい」、「次はいつ聞ける?」という反応がとても多い。これは、これまでに経験がない。
このネタを子どもたちがやるのは、初めてではない。以前奥出雲の学校でやっていたときは複数の子が持ちネタにしていた。もともとおもしろいネタではあるから、先の「おもしろかった」という言葉はよくいただいていた。でも「次はいつだ」と催促までされるようなことはなかった。その子たちに比べて今話している子が突出して上手に演じているというわけではない。ちがいはたった一つ、出雲弁か共通語か、というだけである。方言はここまで人の心を動かすのか、と驚くばかりだ。
こうなったら、せめて当地と縁の深い、できれば家族に協力の得られる子どもには全編出雲弁落語を一つはレパートリーに加えてほしいと思い、せっせと翻訳をしている。どんな噺も出雲弁にできる、とはいかないのが難しいところで、言葉だけ替えても噺として成立しなくなるのも少なくないし、肝心の出雲のおっつぁんもおばさん(ほとんどぼくの両親や叔父叔母だが)が立ち上がってこないとどうしようもない。江戸落語よりも上方落語の方がまだしも翻訳しやすいというのも興味深い発見だった。
寄席では、多いときで10人、少なくて4,5人が出演するが、中に一つは出雲弁落語が入っている、そんな落語教室を思い描いている。