老い老いに 7
ところで、夕焼け通信が2年目を迎えた1994年とはどんな年だったのだろうか。前年の8月に発足した連立政権の細川内閣は、8か月後のこの年4月首相の辞意表明で羽田内閣にバトンを繋いだ。その羽田内閣も日本社会党の連立離脱によりわずか2か月で幕を下ろし、自社さ連立政権のもと、村山内閣へと移っている。向井千秋さんがスペースシャトルで宇宙に飛んだのもこの年だ。痛ましい事故も起きている。中華航空機が名古屋空港で着陸に失敗し、264人が亡くなったのだ。海外では、ルワンダでこの年4月から百日間にわたる大虐殺が行われており、7月には朝鮮民主主義人民共和国の金日成が亡くなった。
平成の米騒動と言われ米不足に陥っていた冷夏の前年とは打って変わり、この年は記録的な猛暑となり、渇水も史上最悪となっている。今年の夏は異常な暑さで、連日熱中症警戒アラートが発せられ、猛暑日や熱帯夜が続いた。8月22日には松江でも38.2度、これまで最高気温になったかと思っていた。ところが、1994年8月1日に松江で38.5度にまで上がっていたのだ。夕焼け通信の編集後記からもうかがえる。「梅雨入りしたというのに雨が降りません。五箇は米所、水不足が深刻です。群をなして泳いでいたメダカたちもどこへやら避難したようです。」Aさんは、「この夏は、連日記録的な猛暑が続きました。梅雨らしい雨がなかったせいもあり、ニュースはいつも全国各地の水不足を伝えていました。そんな少雨猛暑の年、私に運悪く田んぼの二つの水当番が回ってきました。…(中略)…今年のような水飢饉には決まって水喧嘩が少なからずあります。一滴でも多く自分の田に水を引きたいと思う気持ちはよく分かりますが、極端なやり方には腹が立ってきます。水が無く、大きく地割れした田を見ながら近所の人が諦めたように言っていました。『今年は草履履きで稲刈りができます。』昨年の長雨冷夏、今年の少雨猛暑。続けて異常気象に悩まされました。さて、次に来るのは何でしょうか。私は大雪ではないかと思っていますが、さてどうでしょうか。」猛暑、水不足の様子がありありと記されている。その年その年の貴重な記録としても、夕焼け通信は意味あるものなのかなと読み返しながら思った。