ニュース日記 941 政権交代と天皇制

30代フリーター 石破内閣発足直後の朝日新聞の世論調査(10月1、2日実施)では、今後も自民党を中心とした政権が続くのがよいか、立憲を中心とした政権に代わるのがよいかとの質問に、「自民中心」48%、「立憲中心」23%だった。政権交代の可能性は一時期にくらべて遠のいた。

年金生活者 日本の半数以上の有権者は選挙を「自民党を励ます会」みたいに考えていて、自分たちの意に沿う政治をすれば「よくやった」と大量の票を贈り、意に反することをやれば「しっかりしろ」と票を減らしてリハビリのためのお灸をすえる。そこには選挙を政権を取り替えるためのシステムとして扱う発想はない。

 石破茂が総裁に当選後あからさまな変節を見せたのも、それをよく知っているからだ。すぐはしないと言っていた衆院の解散を最短ですることにしたのも、株価の急落を恐れて金融所得課税の強化や利上げに慎重になったのも、それで鍼灸治療を受けさせられることはあっても、余命宣告を受けることはないだろうと踏んだからだ。

30代 1993年の細川連立政権の成立や、2009年の民主党政権の成立は、国民が自民党を励ますのをやめて、見切りをつけた結果ではないのか。

年金 それらは政権の担い手がそっくり入れ替わる欧米諸国の政権交代とは異なり、実態は「疑似政権交代」だった。

 細川連立政権は自民党にいた小沢一郎らが党を割って新党をつくり成立させたし、民主党政権の成立の立役者はやはり小沢だった。いずれも、それまで自民党の派閥間で行われていた「疑似政権交代」が党の外部にまで拡大した結果と考えることができる。

30代 汚れたものをきれいなものに取り替えるのではなく、同じものをきれいに洗って使えばいいというみそぎの発想か。

年金 支配者は「万世一系」であり、交代は代替わり以外にあり得ないという伝統が日本人のメンタリティーに根をおろしている。

天皇制には、フレイザーが『金枝篇』で取り上げたような「王殺し」による権力の「交代」がない。「王殺し」は老齢や病気で生命力の衰えた王が災厄を招かないように殺害した未開社会の風習だ。これに対し、天皇の「交代」は殺害ではなく大嘗祭という祭儀によって行われる。

 これは天皇が「王殺し」のあった社会の王にくらべ民衆に近い位置にあり、いわば民衆に信頼されていたことを推定させる。この天皇と民衆の距離の近さは、大和王権の成立の過程に起源がある。

 吉本隆明の考えを借りるなら、日本に統一国家を成立させた勢力は、各地の群立国家の神を拝む代わりに、自らの神を群立国家に拝ませるという「交換」によって支配を広げていった(「敗北の構造」)。群立国家の支配者と民衆にとって、格上の勢力に自分たちの神を拝んでもらえば、自らのアイデンティティーはより強固になる。それをやってくれる天皇を「殺害」することなどあり得ない。

 西欧で誕生した近代の民主主義は政権交代のためのシステムであり、それは「王殺し」を無血化した制度とみなすことができる。「王殺し」のない天皇制はそれになじまない。

30代 戦後、天皇は象徴になり、政治を動かすほどの威力は失ったはずだ。

年金 象徴天皇制は国民の手による政権交代、無血の「王殺し」を全面的には認めていない。日本国憲法に天皇の国事行為として内閣総理大臣の任命が定められているのがその証左だ。それは江戸時代より前の時代に天皇が征夷大将軍を任命してきた歴史の名残りにほかならない。

 総理大臣の任命は選挙とそれによって構成される国会の指名にもとづいているから、将軍とは違うという異議が出されるかもしれない。だが、徳川将軍も幕府が「指名」したのを天皇が追認していた点では変わりない。

30代 天皇制が政権交代を阻む力となっているとすれば、それを排除するには天皇制を終わらせなければならない。圧倒的多数の国民が象徴天皇制を支持している現在、それは不可能なことだ。

年金 天皇制を終わらせることができるのは天皇自身しかいないかもしれない。先の大戦を終わらせたのは政府でも国民でもなく、天皇だった。戦争末期に国民の多くは「戦争はもう嫌だ」と感じていたはずだ。でないと、アメリカの押しつけた平和憲法をすんなり受け入れることなどなかっただろう。それほど嫌な戦争なのに、国民は自らの決断で終わらせることができなかった。

30代 天皇や皇族が天皇制を終わらせることなど考えるはずがないだろう。

年金 明瞭に意識されていなくても、いつか終わるかもしれないというなかば無意識の予感はあるかもしれない。天皇の後継者不足をなんとかしなければならないという危機感は天皇からもその一族からも伝わってこないからだ。与野党は「安定的な皇位継承」のために「立法府の総意」をとりまとめようとしながら、できないままでいる。国民の関心も高まっていない。

 このまま推移すれば、いつか皇統は断絶し、天皇制は自然消滅する可能性がある。そのとき日本国民は、自己決定を絶えず迫られる、いわば吹きっさらしのなかに立たされるかもしれない。