ニュース日記 940 安倍時代の終わり
30代フリーター 自民党総裁選の結果は安倍時代の終わりを告げるものとして報じられた。
年金生活者 安倍晋三の政権が終わっても、そして彼の生涯が終わっても、安倍時代は続いていた。安倍のカリカチュアと化した高市早苗が「反安倍」の石破茂に敗れたこで、ようやくそれが終わった。ヘーゲルは『歴史哲学講義(下)』(長谷川宏訳)で次のように語っている。
「そもそも国家の大変革というものは、それが二度くりかえされるとき、いわば人びとに正しいものとして公認されるようになるのです。ナポレオンが二度敗北したり、ブルボン家が二度追放されたりしたのも、その例です。最初は単なる偶然ないし可能性と思えていたことが、くりかえされることによって、たしかな現実となるのです」
安倍晋三はコロナ禍のさなか、持病の悪化を理由に退陣した。それがコロナと重なったのは「単なる偶然」に見えた。しかし、憶測を重ねていえば、自慢のアベノミクスによっても、悲願の改憲によっても、コロナには太刀打ちできないことを思い知らされ、政権を投げ出したというのが真相だろう。体調の異変はその口実に使われた。
しかし、それで安倍時代が終わったわけではない。終わりはまだ「可能性」に過ぎなかった。アベノミクスも憲法改正も菅義偉、岸田文雄の政権に引き継がれた。当人が演説中に銃弾に倒れた事件は、その意志を遺志に変換し、より強固にした。
30代 それをくつがえしたのが安倍派を中心とした裏金事件だった。大将の遺志を実行に移す実働部隊が武装解除された。
年金 さっき引用したヘーゲルの言葉について、マルクスは次のように書いている。
「ヘーゲルはどこかで、すべての偉大な世界史的事実と世界史的人物はいわば二度現れる、と述べている。彼はこう付け加えるのを忘れた。一度は偉大な悲劇として、もう一度はみじめな笑劇として、と」(『ルイ・ボナパルトのブリュメール一八日』植村邦彦訳)
国民がインフレで困っているのに、それを加速するようなデフレ脱却を唱えるアベノミクスを固守し、国民が警戒するカルトまがいの右派イデオロギーを掲げる高市は「笑劇」の主役となり、本人の意に反して安倍時代にとどめを刺した。
彼女が安倍を自らのよりどころとしたのは、自前のよりどころがないことの証左でもあった。悪く言えば安倍のものまねだ。模倣だから、本人を忠実になぞろうとする。そのあまり、目鼻立ちをくっきりさせることに熱心になる。本人なら状況に応じて修正したりするとろを、彼女は逆にとがらせた。靖国神社に行く、と。ものまね芸人がまねる相手の仕草や声を極端化するのに似ている。それが彼女を安倍のカリカチュアにした。
30代 自民党総裁選を中継するワイドショーで、キャスターかコメンテーターが、女性初の総理大臣が誕生するかどうかという文脈で総裁選があまり語られなかったのは七不思議のひとつ、といった趣旨の話をしていた。
年金 決選投票で石破に惜敗した高市が「女性だから」とか「女性なのに」といったことを国民にほとんど感じさせない、日本では数少ない女性政治家のひとりであることをそれは物語っている。
高市が事実上、日本の首相の座を争う戦場に立ち、男性である石破と互角に戦うことができたのは、そうした特性が大きく寄与している。ジェンダー平等という観点から見れば、高市は日本の政治史を前進させることに貢献したと言うことができる。
似たような政治家に小池百合子がいる。彼女は「女性初」を売り物にしてきたかもしれないが、それをしなくても東京都知事に当選できる政治家としての力量を備えていたことが数々の政治行動からうかがえる。7月の都知事選で3位に沈んだ蓮舫はどこかに女性であることをつっかえ棒にしているような一面があるのを感じさせた。小池にはそうしたつっかえ棒を必要としない強さがあった。その差が両者のダブルスコア以上の得票差となってあらわれた。
高市にも同様の強さがあることを総裁選は実証した。ただし、ジェンダーを超越している度合いは小池に及ばない。高市が「女性だから」「女性なのに」を感じさせないのは、本人の自前の力だけによるのではない。男性優位の政治の世界で、男性優位のイデオロギーをまとうことによって女性性を消し去り、「擬態」としてジェンダーを超越する戦略に採用していることが要因になっている。選択的夫婦別姓にも女系天皇にも反対しているのがその代表的な例だ。
30代 石破は日米地位協定の改定を主張しているが、「米側は冷ややか」と報じられ、「外交は一貫性と継続性が大事」と外務省幹部の否定的な声も伝えられている(10月2日朝日新聞朝刊)
年金 石破の主張は貫こうとすれば首相の座を失いかねない難題だ。もし彼がそれを実現し、沖縄県民に「これで普天間飛行場の辺野古移設を認めてほしい」と訴えれば、過半数の県民が受け入れるだろう。それほど沖縄は不平等な協定に苦しめられてきた。だが、衆院解散時期でさえ前言を翻すような石破にそれを期待する県民がどれだけいるか。