老い老いに 5

 翌日日赤に転院した夫は集中治療室で幾日か過ごした後大部屋へ移り、約1か月で退院、自宅療養を経て職場に復帰した。「腐ったかぼちゃ」と言われた夫の心臓は、その12年後に狭心症の発作を起こして冠動脈に2本のステントを入れられ、本当に腐ったかぼちゃになってしまった。次の年には眼底出血を起こし、早期退職を決め、私も便乗する。さらに12年後には大腸憩室出血で2度の入院と、様々な病気になりながらも古希を超えた。現在は高脂血症、白内障に脊柱管狭窄症といくつかの持病を抱えながら、酒はほどほどに飲み続け、何とか日常生活を送れているのは幸いというべきか。

「腐ったかぼちゃ」と「おばさん学生見聞録」に間に連載したのが「ギイチ君の虫遍歴」。その頃1年生だった長男は、2歳半から虫に傾倒し、保育所では虫博士と呼ばれるようになる。ところが、友だちと遊ばず、保育所には行かないと早朝から近くの雑木林に身を隠すなど心配なことばかり。内地留学で発達について勉強していた際、人と関わらないことや興味に偏りがあることが、この先生き辛さを感じるようになるのではと悩んだ。と同時に、長男の行動や発想が面白くもあり、数々のエピソードを日記に書き記していた。それらをまとめて連載したのが「ギイチ君の虫遍歴」だ。

 そのギイチ君、現在は40を前にしたおっさんになっている。相変わらず身辺お構いなしで、盆前には長袖長ズボンで帰って来た。仕事柄体力を使うからか、熊みたいにがっしりした体になっている。その長男が、なぜか孫たちに大人気だ。寛大が物心ついた頃に会った際、一緒にスイカを食べてから、「スイカのおっつぁん」と呼ばれていて、どの孫も会うなりすっと懐に入っていくから不思議だ。

 そんな長男も、就職した当分は悩みに悩んでいた。親父くらいの人たちに下請け仕事をしてもらわねばならないのだ。神戸に居た頃、部屋掃除に行くと、朝「行きたくねえ」を何度も繰り返しながら自転車にまたがる息子を送った。それが、今は帰省すると、御殿場に帰る日には大量の土産物買いに付き合わされる。下請けの人たちの分まで、車の後部座席が埋まるほどに。身体にがっつりついた筋肉は、年輪のようなものかもしれない。