がらがら橋日記 出雲弁のはなし④

 なんだかもったいぶった書き方になってしまったが、ぼくが今少しずつ書きためている出雲弁というのは、子どもたちの落語の台本である。

 落語は時代が下るにつれて演芸として洗練され、話も磨かれて、全国どこへ持って行っても評価される普遍性を獲得したのだが、もともとは江戸や大坂の町町の小屋や辻で町内の人々に聞いてもらうための極めてローカルな話だから、当然その土地の言葉で語られる。江戸落語は江戸弁、上方落語は大阪弁、話の中で登場する田舎者と言えば、関東圏あるいは関西圏の地方の言葉が象徴的に使われる。

 児童用の落語本は全国を対象にして、教育という役割も負うので、ほとんどが共通語に訳してある。それは極めて当然のことなのだが、残念ながら同時に話の魅力を減じさせてしまうのを避けられない。おもしろい話であることはわかるのだが、どこか頭で理解することが優先していて、言葉の生々しさにひっぱられて思わず吹き出すことなどなかなか得られない。それを感じていながら、ぼくはずっと落語の元テキストに手を加えることに消極的だった。

 高尾小学校で子どもたちと落語を始めたころ、ある子に「まわりねこ」という噺を勧めた。ねこに名前をつけようとあちこち尋ね回るというシンプルな構造の上に同じ言い回しが繰り返されるので覚えやすかろうというのが理由だった。元は上方落語の古典小咄だが、このテキストの作者は、名前を教える人物を大阪、名古屋、福岡など日本各地にいる親戚という設定にして、それぞれの方言で語らせるという大胆な改編をしていた。奥出雲の子どもが語るのだからその中に出雲弁がないのはかえって不自然だろうと思い、登場人物の一人を出雲のおばばとし、そのせりふのみ出雲弁に直して与えた。この出雲弁をフィーチャリングした「まわりねこ」は、この子のヒット作になった。それが聞きたくてリクエストが来るほどで、その子が卒業した後も後輩たちが代々受け継いでいった。

 今の落語教室でもチャンスをうかがっていたが、祖父母に教えてもらえそうな子が入塾してきたので勧めてみた。松江生まれながらほとんど聞いたこともない出雲弁に相当手こずったが、予想通り松江でも大いにウケた。「○○ちゃんの「まわりねこ」が聞きたい」という声が届くほどに。

 一部分が出雲弁いうだけで喜んでくれる人があるのだから、全編出雲弁の噺ならもっと喜んでくれるに違いない。こんな分かりやすい理屈にこれまで気づかなかったのは怠慢だった。ぼくはその子の次の作品をすべて出雲弁に書き換えることを提案した。