がらがら橋日記 出雲弁のはなし③
奥出雲でお世話になった某氏は、このところ言語研究に余念がない。事の発端は、奥出雲の言葉を集めて記録してほしいという依頼があったからだが、フィールドワークを重ねているうちにのめりこんでいった。というのは、氏の住まう地域だけでも場所場所によって違うことがどんどん明らかになっていったからである。その成果を知った関西の複数の大学が興味を示し、今や共同研究に発展しそうな勢いである。
ぼくも奥出雲に長く暮らしたから、彼の地の言葉には物理的に大量に接してきた。その地名が端的に示すごとく出雲地方の一角であり、文化圏としても一体と言ってよい。だから奥出雲の言葉は出雲弁である。しかし、松江や出雲の言葉とはかなり違うことも事実だ。それはぼく自身、奥出雲に暮らし始めてすぐにわかった。しかし、奥出雲、しかも字の中でもさらに細分化できることを氏は発見したのである。
これには、うなずくところがある。氏の発見を敷衍すれば、出雲弁とひとくくりにするも、松江、出雲、奥出雲で異なるし、さらにその中の地域ごとにそれぞれで異なっていることになる。松江なら共通の出雲弁、とは限らないのだ。事実、そう思わざるを得ない微妙な言い回しや語彙のちがいを感じることがままある。厳密に言えば、家単位にまで細分化できるかも知れない。
氏が夢中になった心持ちがちょっぴりわかる気がする。見つけた言葉の一つ一つが愛おしくなったのだろう。何もしなければ絶えていくほかないと思えばよけいだ。若い研究者たちが遠くから馳せ参じてくるのは心丈夫に違いない。しかし、彼彼女らには言葉の向こうに重なる父母や家族の記憶はない。自分がするほかないのだ、と氏なら思っていることだろう。
氏の思いへの想像が止まないのは、ぼくもまた同じようなことをずっと考えているからだ。このところ出雲弁で文章を書くことが続いた。書きながら、使ってもいない言葉がすらすらと出てくることに我ながら驚いた。まるで言葉の方が出たがっているみたいだった。これは、ぼくの言葉ではない。父母の言葉だ。傷みもせずにそのまましまわれていた。出雲弁だけれど、出雲ではなく奥出雲でもなく松江のごく限定された地域の言葉。
出雲弁で書くことになったとき、広く出雲弁を俯瞰して見る必要があるかなと初め思った。できるだけ共通している部分を抽出して。でもそれは共通語を選択することと同じだ。今は、ぼくの父母、祖父母が語っているふうに書いた方がいいだろうと考えている。