老い老いに 3

 さて、「夕焼け通信」という週刊通信が始まった1993年は、どんな年だったのだろうか。先月、南海トラフ臨時情報が気象庁から出され、国民の多くが自粛モードになった。年々大きな地震が起きる頻度が増していると感じるこの頃だが、この年は北海道南西沖でマグニチュード7,8の地震が起き、奥尻島では火災と津波により死者202人、行方不明者28人と大きな被害が出た。ゼネコン汚職が次々に発覚したのもこの年だ。あとは、細川連立内閣が発足し、浩宮皇太子が小和田雅子さんと結婚している。

 夕焼け通信の記事では、Aさんが書かれた文章の中に、「冷夏」という文字があり、よくよく思い出してみると、あの年は梅雨が長く続き日照不足で、平均気温が例年より2~3度低くなり、全国的な米不足に陥ったのだった。このところ、いつ見てもスーパーの米コーナーががら空きで、米不足とか価格高騰が懸念されている。もともと端境期に当たる時季の上、外国人観光客が増えたことや地震や台風への備えによる買い占めも原因となっているようだ。が、この年の米不足は「平成の米騒動」とも言われるほど深刻なもので、政府の要請を受けいち早くタイから米が輸入された。タイ米は細長く、粘り気がなくパサパサした米だ。焼き飯にすればよいけど、おむすびには適さなかった覚えがある。

 やはり、Aさんの文章から思い出したことがある。学校現場が月1回第2土曜日休みになったのだ。今でこそ週休2日が当たり前になっているが、30年前までは土曜日が半ドン(今や死語。ドンタクは休日で、半分休みのこと)だった。1992年9月に漸く学校現場にスズメの涙ほど(Aさんの表現による)休みができた。大手企業、銀行、郵便局、国、県、市と順々に週休2日となっていったのに、学校現場はやっと月1回。Aさんは、「何故外の公務員が週休2日といわれるのに学校だけは5日制と言われるのだろうか」と苦言を呈している。その後、段階的に土曜休が増え、1995年4月から月に2回となり、2002年4月から完全週5日制となった。約10年かけてようやく週休2日制となったわけだ。学校現場は何もかもが遅れてやってくるとは常々感じていたことではあるが。