ニュース日記 937 正義と人命

30代フリーター パレスチナ自治区のガザでポリオの感染が広がりだした今月初め、ワクチン接種のために戦闘が一時休止された、と報じられた(9月2日朝日新聞朝刊)。戦争という災禍が感染症というもうひとつの災禍によって停止するさまは、この世界の過酷な成り立ちを告げているようだ。

年金生活者 感染症の拡大が戦争のゆくえを左右した例として、第1次世界大戦下での「スペイン風邪」の流行がある。両陣営ともに兵士の半数以上がインフルエンザに感染したため、戦争継続が困難になり、終結が早まったとされる。ひとつの災禍を止めるにはもうひとつの災禍が必要だと思えてくるほどだ。同時に、そこに自然の圧倒的な力を感じないわけにはいかない。

 カントは自然を「偉大な技巧家」「諸物の巧みな造り手」と呼んだ(『永遠平和のために』宇都宮芳明訳)。その自然が「戦争によって、人間を多かれ少なかれ法的関係に立ち入らせるように強制した」と述べ、「永遠平和の保証」を与えるのはこの「偉大な技巧家」だとしている(同)。ひとつの災禍をもうひとつの災禍が止めるどころの話ではない。戦争を止めるのは戦争そのものだと言っている。

30代 悪を止めるのは悪だと。善では悪を止められないのか。

年金 同じころ、イスラエルでは、ガザへの攻撃をやめない政府に対し、ハマスとの停戦合意を急ぐよう求める大規模なデモが各地に広がった、と報じられた(9月3日朝日新聞朝刊)。イスラエル側の人質6人が遺体で発見され、早く合意していれば助かったのに、とネタニヤフ政権に怒りの矛先が向けられた。

 6人の人質はイスラエル軍に発見され、軍到着の直前にハマスに殺害されたとみられるとも伝えられている(同)。それを知った多くのイスラエル国民はハマスに怒りを募らせ、「やつらとはもう交渉できない」「必ず報復すべきだ」と考えたに違いない。だが、停戦と人質解放をめぐる交渉が停滞したまま進まず、さらに人質の命が失われる危険があることへの懸念のほうがそれを上回った。デモはそれを示している。

 ハマスのしたこと、しそうなことを糾弾し、報いを受けさせることよりも、人質を殺させないこと、その命を救うことを優先する世論がイスラエルで多数を占めつつあることをうかがわせる出来事と言っていい。今世紀初めに吉本隆明が提起した「人間の『存在の倫理』」という考えに従うなら、いまイスラエル国民のあいだに広がりつつあるのはこの「倫理」と言うことができる。

30代 バイデンはハマスに「犯罪の代償を払わせる」との声明を発表したと報じられている(同)。

年金 ハマスはおのれのしたことの報いを受けるべきだというその考えは、吉本の言い方をまねて名づければ、「人間の『機能の倫理』」と呼ぶことができる。ハマスの「働き」を糾弾するものだからだ。

 これに対し、「人間の『存在の倫理』」は、人間が何をしたか、何をし得るかという「働き」ではなく、人間の存在そのものに焦点を当て、それを肯定する倫理と言うことができる。「攻撃」には「報復」をと、「機能」に対し「機能」で返す考え方は、死のループを形成する。そこから脱するには、人間の「存在」そのものを倫理の根底におくほかない。イスラエル国民がそう考え始めている兆候を、戦闘開始以来最大規模というデモに見ることができる。

30代 ウクライナ戦争にはそんな動きは見られない。

年金 ウクライナの調査会社「キーウ国際社会学研究所」が今年5月に実施した世論調査によると、「できるだけ早く和平を達成し独立を維持するため領土の一部を放棄してもいい」との回答が32%あり、2月に比べると6ポイント増加した(7月24日NHK NEWS WEB)。これに対し、「いかなる状況でも領土を放棄すべきでない」との回答は55%と、依然として過半数を占めているが、2月に比べると10ポイント減少している。今後も「領土の一部を放棄しても」が増え、「放棄すべきでない」が減って行くと予想され、この戦争はウクライナが領土の一部を放棄して終わる可能性が最も高い。

 ロシアの侵略行為はいささかも正当化されないにもかかわらず、ウクライナ国民の中に「領土の一部を放棄しても」という考えが少しずつとはいえ増えているのは、「正義」よりも「人命」を重んじる世論が徐々に広がりつつあることを示している。それはハマスとの戦闘で「報復」よりも「人命」を重視しだしたイスラエルの世論と相似形をなしている。

 イスラエル側の人質の遺体がもし戦闘の初期の段階で見つかっていたら、「停戦」ではなく「報復」を求めるデモが広がっていたかもしれない。

 今そうならないのは、吉本の言う「人間の『存在の倫理』」が国民のあいだに広がってきた結果と理解することができる。それは「する」の土台となる「ある」を重視する倫理であり、私たちの慣れ親しんだ言い方をするなら「命あっての物種」に近いだろう。時間がイスラエル国民をそこに導いたとすれば、ウクライナ国民も時間をかけて同様の道をたどる可能性がある。