ニュース日記 934 あとずさりする資本主義

 30代フリーター いま資本主義は資本主義以前へあとずさりし始めているように見える。世界の先進諸国で市場原理に反するようなバラマキ政策が行われたり、日本の「子ども食堂」のように贈与経済が復活したり。

年金生活者 極端な格差の広がりがそういう反動を生んだ。

 柄谷行人は経済を駆動する交換様式を4種の類型に分け、アルファベットで示している。A=互酬(贈与と返礼)、B=服従と保護(略取と再分配)、C=商品交換(貨幣と商品)、D=Aの高次元での回復の4タイプだ。各時代に支配的な様式はA、B、Cの順に推移する。Dはいまだ支配的になったことはなく、理想社会で支配的になると想定されている。

資本主義社会で支配的な様式はCだ。それは市場での自由な競争を前提としており、必ず格差を生む。競争を駆動するのは富の稀少性であり、そうである限り、富が全員に十分行き渡ることはない。

 その格差を先進国内で広げたのが、グローバル化した資本主義だ。各国政府は国境の垣根を低くしてそれをあと押しした。それによって発展途上国の安い労働力を確保できるようになり、先進国の労働者が仕事を失ったり、賃金を抑えられたりした。

30代 それが反グローバリズムの「アメリカ・ファースト」を掲げるトランプを大統領に押し上げた。

年金 格差の広がり過ぎは体制を脅かす。先進諸国では民主制の危機となってあらわれる。社会の分断が深まり、多数決原理が機能する土台に亀裂が入る。米連邦議会襲撃事件はそれを象徴する事件だった。

 だから、格差を縮めるために、各国政府は国家が担う交換様式Bによる再分配の機能を強化しつつある。そのためにはグローバル化の流れをせき止めなければならない。再分配は範囲を限定しないとできないからだ。アメリカが中国に対抗して進める保護貿易主義は、その範囲を限定する作業でもある。

 格差の拡大は、資本にとっては、買い手を失うことを意味する。だが、競争原理に支えられる資本主義は格差をコントロールすることができない。国家に頼るしかない。その国家が機能を強化しようとしている交換様式BはCとは原理的に相容れない。その意味で資本主義はいまあとずさりを始めたということができる。

30代 自らの原理である競争をサボタージュし、国家の再分配機能への依存を深めるとともに、格差の拡大で復活した贈与経済に自らの領分の一部を明け渡しつつある。

年金 柄谷の交換様式論に即して言うなら、資本主義は交換様式C=商品交換(貨幣と商品)を一部縮小し、あとを国家が担う交換様式B=服従と保護(略取と再分配)と、個人や非営利団体が担う交換様式A=互酬(贈与と返礼)で埋め始めていると言ってもいい。

 Bへの依存の例のひとつに脱炭素化がある。国家の補助金をあてにした電気自動車の開発などへの投資が欧州を中心に広がった。医療・介護産業の拡大も、保険の形をとった国家の再分配機能に支えられて進んだ。

 交換様式Aはこれまで資本主義の発展とともにCによって大部分を駆逐され、家族の中などに閉じこめられてきた。それがいま復活し、規模を拡大しつつある。資本主義が加速した富の稀少性の縮減がそれを可能にし、格差と貧困の拡大や災害の頻発がそれを必要としたからだ。

 災害ボランティアは労働力の贈与であり、阪神大震災のあと、そのシステム化が進んだ。子供や保護者が無料または低料金で利用できる「子ども食堂」は全国で9千カ所を超える(「NPO法人全国こども食堂支援センター・むすびえ」)。このほか数多くの個人、NPO法人が様々な形でBを回転させていると推定される。現在の資本主義は「自己責任論」を掲げながら、「自己責任論」とは異なる原理で動くAへの依存を避けられなくなっている。

 資本主義のあとずさりは、交換様式のBやAが支配的だった時代の部分的な反復を意味する。もっと一般化して言えば、歴史が過去を反復していると言ってもいい。

30代 だが、歴史は繰り返さないとも言われている。

年金 もとの形を変えて反復する。その理由を思いつくままあげてみる。

 衰退に向かう社会が、失った勢いを取り戻そうとして、それがまだ存在していた過去に戻ろうとするから。次への飛躍を目指す社会が、そのための助走路を確保するため、後ろにさがろうとするから。社会も人間のように老い、老いれば人間と同様に子供帰りするから。子が親に似るように、社会もまた新段階は前段階を模倣するから。

 朝日新聞の「折々のことば」に「DNAがすごいのは、生命誕生の時から同じものを使い続けていること」(中村桂子)とあった(8月9日)。だとしたら、人間のすることにまったく新しいことなどないということだ。

 最も新しいことを目指すはずの革命は必ずと言っていいほど復古の形をとる。フランス革命の担い手たちも「ローマの衣装に身を包み、ローマの決まり文句を使って、近代市民社会を解き放ち、打ち立てるという彼らの時代の課題を成し遂げた」(マルクス『ルイ・ボナパルトのブリュメール一八日』植村邦彦訳)。