北海道への旅、三度目 17

 靴の裏が真っ平、つるんつるんだったのだ。数日前、雨の中を歩き、最近買って履き出した靴が濡れたので古いのを出した。その靴は履き心地が良く、ずいぶん長く使っていた。足の裏のほんのすぐ下に地面を感じるくらいまでになったので、百均で買った靴の中敷きを入れて履いていた。改めて靴裏を見ると、真ん中付近は透けて中敷きが見えるくらいになっている。おそらく、あの何が何だか分からない瞬間、つるつるになった靴底が滑ってアクセルの方に足が行ってしまったのではないだろうか。気に入っていたが、さすがにもう使えない。中敷きを抜き、底がつるつるの上に穴まで空いた靴をゴミ箱に放り込んだ。

 確かなことは分からないが、靴の裏のせいで滑った可能性はある。でも、それで私の気持ちが晴れはしなかった。実際に、事を起こしてしまったのだから。車庫のコンクリートについていたブレーキ痕は、車に付いている制御装置が働き強制的に止めた際についたものだ。私は無能にも、なすすべもなく、なるがままに事を任せただけだった。そうした自分の無能ぶりが、心の中に大きな塊となって居座っている。

 寛大と実歩が無事だったからよかったものの、もしかのことがあったら私はこの先前を向いて生きてはいられなかっただろう。若い頃、長男と二男を後部座席に乗せていて、信号機前で泊まっていた時にぶつけられたことがあった。あの時はルームミラーで減速した後ろの車がゆるゆると走ってくるのが見えた。今回私が引き起こした事故は、車庫付近のあらゆるものをなぎ倒してしまうほどのスピードによるものだったのだ。

 夫は、「車庫内で良かったよ。これが一般道だったら大変だった。いい方に考えればいいよ」と言ってくれるが、自分の心がぐちゃぐちゃになってしまっている。そして、そのぐちゃぐちゃの中にはっきりと見えたのが、「老い」という文字だった。咄嗟に何が起きたか分からない。ニュースに出た事故の老人たちも、きっと私と同じ状態だっただろう。「老い」という現実。じりじりと真綿のように私の首を絞めつけてきたものが、声も出ないくらい一気に締めつけてきたのだ。