人生の誰彼 23 命知らず
松江市黒田町周辺は地盤が低く、大雨が降るたびに冠水します。ホームセンターいないと食品スーパーみしまやの共同駐車場の裏手にある道路に沿って流れる比津川が、大雨の度に氾濫するので、つい先日道路と川の界にコンクリート擁壁を造る護岸工事が完了したばかりでした。
近所なので買物に行く度に眺めては、これくらいの高さがあれば例年の大雨程度だったら大丈夫だろうなと思っていたのですが、7月9日の未曾有の豪雨の前にはまるで無力でした。ネットで道路情報カメラを見ると件の駐車場が映っていて、一帯が見事に冠水していたのです。せっかく梅雨を前に工事を終らせたのにも拘わらず、この豪雨の被害は工事関係の方たちにとって残念至極であったに違いありません。それでも人的被害が出なかったことは不幸中の幸いでありました。
以前から何ゆえにこの辺りは性懲りも無く冠水するのだろうかと不思議に思っていたのですが、数日後の地元新聞にその答えとなる記事が掲載されていて、読んで吃驚しました。なんと話は四百年前の堀尾吉晴公による松江開府まで遡るというのです。湿地や沼地だった一帯を、山を削って埋め立てて屋敷地を造成したのですが、黒田町周辺は埋め立てが遅れて低いままになっているのだそうです。
あまつさえ住宅や商業施設が集まっていてアスファルト舗装されている場所が多いので、雨水が地面に吸収されずに川に流れて溢れるらしいのです。何だか分かったような分からないような、なんとなく言い訳っぽい感じがしないでもないのですが、行政の担当者がそう言うのだからきっとそうなんでしょう。
さてその週末、関西で暮らす娘と孫娘に会いに車で出かけました。幸い心配していた雨も上がり安堵したのですが、一泊して楽しく過ごした翌日の帰りのことです。夕方松江に向かう前に念のため雨雲レーダーを確認すると、中国道から米子道にかけての上空が雨雲に覆われていて場所によりかなりの降水量の予報です。先日の豪雨が脳裏をよぎり不安に襲われましたが、意を決して帰路に着きました。
案の定、米子自動車道で豪雨に見舞われました。叩きつけるような大雨の中、すでに陽は落ちてライトのみの視界は数メートル。事故の恐怖に取り憑かれて六十キロまでスピードを落としましたが、後方より迫る車がビュンビュン追い抜いていきます。軽自動車にも抜かれました。命知らずとしかいいようがありません。