北海道への旅、三度目 12
翌日、二人とも体調に変化なく普通に起きた。夫の左わき腹、私の右ふくらはぎの痛みは前日と同じ程度で、それ以外に不調はない。いつものように早朝の散歩に出た。
朝食は、荷物に入れていたキュウリと魚肉ソーセージ、冷凍していたご飯で済ませ、すぐに買い出しに行く。何せ、野菜室は半分残ったキュウリだけだ。帰ってすぐ、買ってきた食材でポテトサラダ、麩の煮物を作り、鶏肉を砂糖醤油に漬け込む。そして、パン生地をこねて一次発酵のため縁側の暖かい場所に置いた。
祝日であるこの日、子どもたちをバス祭に連れて行く予定を立てていた娘が、私たちの様子を見に家に寄った。車から降りて来た娘や孫たちは、しばらく車の後ろの部分の壊れた箇所を眺める。鉄板がはがれた部分を支えるようにゴミ箱をあてがっているのが余計痛々しく見える。夫は、「ほら」と運転手席に置いていた吹っ飛んだナンバープレートを見せた。「明日は二人とも絶対に病院に行ってよ」と娘は言いながら家の中に入った。
少しして、バイクの音が聞こえて来た。「雄二だ」と言って玄関に出ると、一年前一緒になった連れ合いも降りて来た。来なくていいと言ったのに、心配で来てくれたのだ。娘や息子に事故の詳細を伝えると、息子も「明日は病院に行けよ」と言う。
娘がバス祭の帰りに米を七俵取りに行くというので、「子ども三人連れてじゃ大変でしょ。付いて行こうか」と聞くと、「そうしてくれたら助かるけど、身体大丈夫」と逆に尋ねてくる。「大丈夫。予定がすっかり無くなったし」と言って付いて行くことにした。息子は帰り際、「病院には絶対に行けよ」と念押しし、二人バイクにまたがり走り出した。
バス祭会場では、消防団員の吹奏楽演奏だけを聞き、すぐに米を受け取りに平田へ向かった。午後は雨という予報で、できればそれまでに取りに行きたかったのだ。いつも米は娘の同僚の実家がある近くの営農組合さんから購入していて、その日はたまたまその同僚も実家に来ていた。そこで昼食をいただくことになり、食べながらまた事故の話をする羽目に。
夕方、壊れた車は引き取られ、代車が来た。前に乗っていた軽乗用車と同じ車種だ。