ニュース日記 928 都知事選について
30代フリーター 朝日新聞の東京都知事選の情勢調査によると、小池百合子が先行し、蓮舫が追う展開となっている。
年金生活者 無党派層は4割強が小池を支持しているのに対し、蓮舫は2割弱しかない。ダブルスコアの開きがあり、実際の得票差もそれに近くなる可能性がある。
30代 小池はカイロ大卒という虚偽の学歴を公表したとして、公選法違反の疑いで刑事告発されている。
年金 有権者はそれを小池を落選させなければならないほど重大な問題とはとらえていないことを調査結果は示している。朝日新聞が選挙情勢調査と並行して実施した世論調査にもそれがあらわれている。小池都政を「大いに評価する」6%、「ある程度評価する」63%で、合わせると約7割におよぶ。
30代 小池が2016年の初当選のさいに掲げた公約「7つのゼロ」の達成度を東京新聞(6月16日)が検証している。それによると、「待機児童」はほぼゼロを、「ペット殺処分」はゼロを達成した。「都道電柱」と「満員電車」は改善されたが、ゼロにはなっていない。「介護離職」は逆に増加し、都職員の「残業」は増えた。
年金 これなら「ある程度評価」が多数になるのもうなずける。0か100かで考える有権者は少ない。
調査にあらわれた小池への「評価」は、対立候補の蓮舫が押し上げた可能性がある。彼女は立候補表明の記者会見で「小池都政をリセットする」と語っていたのに、その後の公約発表の会見では「都民の安心安全を守ってきた政策は維持をして発展させる」と事実上の「リセット撤回」を表明した。批判を気にして言うことを変える候補者からは、確固とした理念もビジョンも伝わってこない。蓮舫を「頼りない」と感じ、「やっぱり小池」と考えた有権者は少なくないはずだ。
30代 ふたりのその差はどこから来ているんだ。
年金 吉本隆明は「大衆の原像」を自らに繰り込むことを思想の課題とした。それは政治にも当てはまる。大衆の原像とは、ふだんは政治や芸術、学問といった日常から遠いことについては考えず、自分や自分の家族など身近な存在の生活のことだけを考えて暮らす人間の像を指す。
それを「繰り込む」とは、それを啓蒙や指導の対象とするのではなく、逆にそれによって啓蒙、指導される位置に自らを置くことを意味する。それが時として「大衆迎合」とか「ポピュリズム」と呼ばれ、マイナスの評価をされるのは、それだけ実行が困難であることを示している。
だが、実行されれば、予想外の力を発揮する。自民党を倒した旧民主党の「国民の生活が第一」も、大方の予想を裏切って米大統領の座を勝ち取ったトランプの「アメリカ・ファースト」も、自らの所属する自民党に反旗を翻して都知事に初当選した小池百合子の「都民ファースト」も、大衆の原像をスローガン化したものだ。これら3者は、党派あるいは官僚の論理に対抗する国民あるいは都民の生活の論理という図式の中にわが身を置くことに成功し、選挙での勝利を勝ち取った。
30代 蓮舫にはそれに匹敵するものがない?
年金 小池百合子は日本の大多数の女性政治家が持っていないものを持っている。それは「女性だから」とか「女性なのに」といったことを有権者にほとんど感じさせないことだ。だから、「女性初」とか「女性の代表」といったことを売り物にする必要がない。性とは関係なく一政治家として有権者の前に立つことができる。
そうした女性政治家は他の先進諸国では珍しくない。ドイツのアンゲラ・メルケル、英国のマーガレット・サッチャーらを思い浮かべれば、思い当たるはずだ。そんな政治家を日本で探すのは難しい。小池は稀有な存在と言わなければならない。その点で日本の大多数の女性政治家は蓮舫を含め、小池におよばない。
しかし、それは彼女たちの責任ではない。日本のジェンダーギャップが根深いことが理由であり、それが小池を稀少な存在にしている。
30代 元朝日新聞記者で政治ジャーナリストの鮫島浩が「政権交代の機運がしぼみつつある」と書いている(SAMEJIMA TIMES、6月25日)。「都知事選の立憲敗北が自民復活を後押しする」と。その根拠として、読売新聞の世論調査結果の変化をあげる。5月の調査では、次期衆院選後に望む政権として「自民党中心の政権の継続」と「野党中心の政権に交代」がともに42%と拮抗していたのに、今月の調査では「継続」が46%と、「交代」の42%を上回った。
年金 その流れが生まれているとすれば、都知事選でブレて底の浅さをさらけ出した蓮舫がつくり出したと言わなければならない。「小池都政をリセットする」と言っていたのに、3週間後には「東京全体をもっとよくする」と言い出し、「全否定」から「継承発展」に転換したととられかねないブレ方は、結局この候補者は自分というものがなく、立憲の看板に過ぎないというイメージを広げたに違いない。その結果、立憲はブレる候補者しか送り出せなかった政党という烙印をおされ、それが自民党にとってプラス要因として働く可能性がある。